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Janek Chenowski's Provisional Blog

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ネタバレ: 彼は死にます。

 Twitterで懇意にしていたフォロワーさんについて書くことにする。


 彼と出会ったのは2013年の夏、大洗でだった。誰が誘ったのかは思い出せないけれど、『ガールズ&パンツァー』の聖地巡礼を一緒にやらないかという申し出があったのだった。
 当時私は無職で、暇だけは有り余っていたから、この誘いに乗って遥か1000マイル彼方の茨城県は大洗へと向かった。そこで初めて、Twitterのフォロワーさんの一人である彼と出会ったのだった。
 僕はその時、野球帽に英国国旗のワッペンを付けていた (この辺の事情に疎い人のために説明しておくと、オタクの帽子やジャケットの袖にはマジックテープが縫い付けてあって、その時々で気分に応じたワッペンを貼り付ける事が出来る) のだけれど、彼はそれを見て相好を崩した。「ヤネク・チェノウスキさんですね?」 僕は答える代わりに、右腕を高く上げた左足の下に通し、片足立ちをしながら握手を求めた。この「メイソン式握手」に彼はすぐさま応えて、付け加えるなら、後に僕と会う度にこれをネタにするくらい気に入ってくれたらしい。
 2013年の大洗での出会いについて、これ以上付け加える事はないと思う。『ヴィンテージクラブ むらい』でギネスを共に飲んだ事くらいかな (この時、僕は自動車で大洗に来ていたのだけれど、まだ陽は高かった。これから自動車で移動するのに5時間はあったので、それまでにアルコールは抜けると思っていた。実際そうだったと思う) 彼と共に巡る大洗は素晴らしかった。『ガールズ&パンツァー』の思い出を巡る旅。それだけではない。今でも思い出すのは、当時の大洗シーサイドステーションで展示されていた、2011年の大地震による大洗町の被害を展示するスペースで彼が見せた表情だった。津波に浸かって汚れたレゴブロック、流される乗用車の写真。それらを前に、それまで見ていた彼のいつもの優しそうな表情が険しくなっていく様を、たぶん僕はこれからも折に触れ思い出すだろうと思う。彼はそうした悲劇に対して、僕が持ち得ないような全うな共感を持つ事が出来たのだ。
 彼とはその後も出会う機会があった――『ザ・ロック』という映画の鑑賞会だ。別に映画館で行われた訳じゃなくて、確かカラオケボックスだったと思う。ほかにも多くのTwitterの仲間たちが集って、酒や料理に舌鼓を打ちながら、誰もが500回は観たような映画を鑑賞したように記憶している
 だけれど、この時、僕は彼と語り合った内容を今でも覚えている。「ショーン・コネリー。彼がアメリカの映画に出演する時、常に英国諜報部の意を受けて潜伏しているスパイの役だというのは興味深いとは思いませんか?」彼はいつもの笑顔で同意した。その他の細かい出来事については記憶がない――鑑賞会が終わった後、僕がカラオケで『The Battle Hymn of the Republic』を歌った事以外には。





 ここから少し年月は過ぎる。僕は新しい仕事を得て、おそらく彼の人生にもいくつかの転機があったのだろうと思う。我々はTwitterという共通のツールで繋がっていたけれど、そうした事柄について相互に理解する事はなかったと思う。『インターネットで知り合った人と直接会ってはいけません』というルールが根強く染みついた世代だ (待ってくれ、彼はいったい何歳だったんだ? 僕は?) ただただ年月は過ぎ去り、Twitter上の活動がなんとなく目に入るだけの日々が続いた。誤解の無い様に言っておきたいのだけれど、僕のような世代 (小学校に通っていた頃、何かあったら公衆電話で自宅に連絡できるように、お守り袋に入った100円玉を持たされていた世代) では、この種の付き合いはそう異様なものではないと思う。近年の若い世代ではちょっと様相は異なるのかもしれない。少なくとも僕は――僕は実生活の自分とインターネット上のそれとを明確に分け、Twitter上の情報から僕の「本当の」素性が割れる事がないようにずっと配慮していた。この習慣は今でも変わっていない。今これを読んでいる貴方には、僕の正体はたぶん分からないだろうと思う。
 僕の正体はどうでもいい。ある日、2021年の3月の半ばだったと思うけれど、彼からTwitterのダイレクトメールが来た。「4月10日にサバゲーの会を主催するので、参加しないか」という内容だった。
 当時、僕はサバゲーから離れて5年が経っていた。彼と最後に出会ってからも4年が過ぎていた。僕はそのダイレクトメールを最初は無視し、2日後には頭の中の「検討」リストに追加し、そして最後には「参加します」という返事を出していた。どうしてなのかは分からない。きっと神様しか知らないだろう。
 ともあれ、2021年の4月10日、僕は上司に直談判して奪い取った休日を利用して (土日に休みが取れない仕事だってある) 車を走らせ、酒々井とかいうこの世の果てまで辿り着いた (神様はなんだってまたこんな土地を造り給うたんだ?) そこで僕は彼と数年ぶりに再会し、メイソン式握手を交――わさなかった。コロナウイルスのせいだ。
 だけど、サバゲーの会は素晴らしかった。主旨は「サバイバルゲームの傍ら、デイキャンプをする」というもので、僕はそのどちらにもある程度の知識があった。サバゲーはともかく、僕の知っている「キャンプ」が独り惨めにアルコールストーブで飯盒の中の内容物を掻き混ぜ、その成果物を右の靴下に挟んでいたスプーンで掻き取って口に運ぶだけのイベントだと勘違いしていたにしろ、それでも非常に有意義な一日を過ごした。その時、僕は荷物の中に特定小電力無線機を持ち込んでいて、これは彼も同じく持参していた装備だった。サバゲーはある程度離れたチームへ同時にゲームの進行などの指示を出す必要があって、無線機の役割がとても大きいのだけれど、これを僕が持っている事が幸いしたのだと思う。「ヤネクさんは黄色チームの統制をお願いします」彼はそう言って僕を頼ってくれた。
 サバゲーの会は順調に進んだ――と思う。昼食の時間、バーベキューグリルなどを持ち込んで豪勢な料理をこしらえた人たちが居たにも関わらず、僕がアルコールストーブと飯盒でこしらえた「S.O.S.」を (今だから暴露しちまおう。「S.O.S.」とは「屋根板に乗った糞」の意味だ。見た目がそうだから) 彼は試食してくれた。彼はそれを称賛し、僕はそれを真面目に受け取りはしなかったけれど、そうして他人の気持ちを慮る彼の態度にひどく心を動かされた。
 会は好調のうちに終わり、彼はいつか近いうちに再びサバゲーあるいはデイキャンプの会を催したいと表明して、僕らは解散した。僕個人の話になるけれど、5年ぶりに復帰したサバイバルゲームに於いて、そうまんざらでもない働きが出来た事に対して、おれもまだそんな年寄りじゃないぞ―—なんて自惚れたりもした。





 ここから先を書くのは忍びない。
 だけど、書かなければ――書かなくても、彼は許してくれるかもしれない。でも、僕は僕自身を許さないだろう。
 2021年の4月13日だったと思うけれど、僕は当時酔っぱらっていて (市井の人とは違うスケジュールで仕事をしているから、酔っぱらう時間も非常識だ) 、最初はそのTwitterのダイレクトメールに気が付かなった。ようやくそれに気付いて携帯電話を見たとき、そこにはこんな文面があった。
「まさるさんが今朝お亡くなりになられたそうです」
 僕は酔っていた。それに、酔っていなくても、そんな事を即座に理解し、受け入れる事なんて出来たとは思えない。素面だったらどんな衝撃を受けていたか、想像すらできない。
 僕はそれに返信した。「神様」 それ以外に言葉が出るだろうか? 3日前には酒々井のド田舎で元気に走り回っていたのに。
 実際、それからの僕の行動はちょっとおかしくなる。正常性バイアスが僕の行動をほとんど支配し、Twitterに投稿するツイートは普段通り、馬鹿馬鹿しい内容を心掛けた (これには細心の注意を払ったつもりだ。今までで最高のくだらないツイートだったに違いない) 職場では普段通り振舞った (ネット上の知り合いの訃報? お前の現実世界に影響する訳じゃなかろうが!) 神様からは返信がなかった (最後に教会へ行ったのは2006年だ) どうにもやりきれなくて、僕はついに仮の同居人に相談した。「ネット上の知り合いに過ぎないし、実際に会った事も数度しかないし、だいいち彼の本名も知らない。なのに、なんだってこんなに僕は動揺しているんだろう?」
 彼女は目ン玉をぐるりと回して、答えた。「会って確かめたら?」
 僕には勇気がなかった。それに仕事があった。だいいち彼の葬儀がいつどこで執り行われるか知らなかった (これに関しては、Twitterの親切なフォロワーさんがのちに教えてくれた――彼らに神様のご加護がありますように!) そんな状態で一週間を過ごしながら、僕はどうにもヘンテコな心理状態のままでいた。
 「またお会いしましょう」と彼はのたまった。またお会いしましょう。なんてこった。もう会えないのに――大嘘つきめが。そして4月19日を迎えた。彼の通夜の予定だった。僕は事前にTwitterを介して「参加できない」と伝えていた。そして、現実世界の仕事に精を出そうとして、この日もあくせく働いていた。
 そんなときだった。彼以外に「大嘘つき」がもう一人、現れた。
 その日面談予定だった僕のクライアントが「予定が合わないので後日改めて」と連絡を寄越したのだった。
 「おまえのかあちゃん……」僕は最後まで言い切らずに電話を切った。そして、僕の上司のデスクに駆け寄って、ここには書けないような理由を並べ立てて午後の半休を奪い取った。それだけでは満足せず、僕はさらに総務部へと足を延ばし、軽く身体的脅威を仄めかしながら社有車の貸し出し許可を申請し(様式は全部事後だ、分かってるよな? うん?)、自分のロッカーから「礼服キット」を取り出すと、すぐに通夜の会場へと車を走らせた。
 何が僕をこんな行動に走らせたのか、どうして職場の上司や同僚にまくし立ててまで通夜に参加しようと思ったのか? 答えは簡単だった。「またお会いしましょう」彼はのたまった。だからまたお会いするのだ。彼は約束を破らなかった。彼に約束を破らせるような事があってはならない。僕は彼と最後にもう一度会わなければならない。彼は嘘つきなんかじゃない。
 3時間ほど車を走らせて、斎場へと到着した。途中でコンビニへと寄り、香典袋を買い、レジのアルバイトの男の子を脅して「この札をやる、だからレジスターの中からできるだけ皺くちゃの札を俺に寄越せ」と詰め寄る事も忘れなかった。そして、彼と最後に出会う場所となる斎場へと到着したのは、通夜の始まる10分前だった。
 式は、僕の今まで経験した通夜と同じように進んだ。結婚式と通夜の違いは、サプライズが無い事だ。彼は死んでいた――そして、生き返らなかった。
 僕は認めたくないのだけれど、この時、僕はなんだかよく分からない液体が下瞼から滲み出てくるのを感じた。右手はポケットのばっちいハンカチに伸びた――誰もこれを見ていなかった事を願う。僕はタフで無名なチベットスナギツネだ。泣いている姿なんて見られたくない。
 だけど、僕は何が自分に涙を溢れさせたのか、はっきりと知っていた。それは悲しみではない。僕は悲しみを感じるほど、彼を知らない。それに、その日その斎場に並んだ人々よりも自分が大きな悲しみを抱えているなどと自惚れるほど、自己愛に満ちてもいない。
 ただ、惜しくてたまらなかった。
 僕と趣味を同じくする男――ガールズ&パンツァー、モンティ・パイソンズ、『女王陛下のユリシーズ号』、『シンドラーのリスト』、サバゲー、キャンプ…… 僕と同じ鋳型から作られた男。神様が同じ鋳型から造り給うた男 (神様は後に鋳型を壊してしてしまったに相違ない。償却というやつだ) ―—これほどの知識、諧謔、才能を備えた男――それが棺の中に横たわって、二度と起き上がる事が無いという事実を、考える事さえ僕には耐えられないのだ。彼はもう「メイソン式握手」を僕とは交わしてくれない。
 参列者と言葉を交わした後、僕は斎場を後にした。僕にはまだ重要な使命が残っている――総務を脅して借り出した社有車を会社に戻さなければならない。


 この話にオチはない。
 彼の、彼との記憶を文字に残そうとして、急いでタイプした。
 それでも、最後に、僕は願わずにはいられない。


 彼と関わりのあった人々、今回の悲劇に泣く人々――その悲しみがいつか癒えて、彼との美しい思い出だけが彼らの心にいつまでも残る事を。 
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買う為の言い訳を見つけろ

 自動車事故の話になる。
 あんまり書きたいとは思わない話題だけれど、一人のドライバーとしてこうした問題から目を逸らす事は出来ない。ある損保会社のアンケート調査によれば、自分が被害者となったケースも含めると、実に3人に2人の割合で自動車事故に巻き込まれているという驚くべきデータもあるのだ。警察庁のデータは2014年の1月末までに、一日平均して1,565件の交通事故があった事を示しているし、いつ自分が当事者となるかは分からない。
 僕のミラジーノも、中古で買ってから5年ほどは幸運に恵まれて壊れもせず無事に走り続けてきたのだが、如何せん経年劣化というものは恐ろしいもので、あちこちガタが来ていた事は否めなかった。エンジンは好調でも足回りはガタガタだったし、エアコンなどはおそらくコンプレッサーが異音を発していた。「次は何処を直そうかな」と思案に暮れながら走っていた時、事件は起きた。アクセルペダルが戻らなくなったのだ。
 国道を50km/hほどで走っている時、ふとアクセルを緩めようと足を上げると、普段なら感じられるスプリングのテンションが感じられなくなった。そして回転計を見ると、普段なら1600回転くらいまでゆっくりと下がる筈の針が2000回転を示したまま頑として動かないのである。嫌な予感と共に、アクセルペダルの下に爪先を突っ込んで持ち上げてみたり、軽く横から小突いてみたりした結果、僕は「理由は不明だがスロットルバルブが閉まらなくなった」という結論に達した。
 ブレーキが利かなくなった場合の対処はいくらでもある。だが、アクセルが戻らなくなった場合の対処というのは、恥ずかしい事に僕はそれまで想像したこともなかった。一瞬だけ、セレクターをニュートラルに入れれば駆動系と出力が切れるのではないかと思い至ったのだが、スロットルバルブが閉まらないままニュートラルに入れた場合、どこまでエンジンの回転が上がるか分かったものではなかった。しかもなお悪い事に、大抵の車はスロットルが開いている時にはブレーキのブースターが上手く作動しなくなるのである。
 とりあえずハザードランプを点灯させ、アクセルが戻らなくなったデス・トラップに乗りながら、僕は死を覚悟するというよりは、これからどうやってクルマを停めてJAFあたりに連絡し、いつものディーラーに駆け込むかという事を考えていたと思う。時計が4時12分を指していた事を覚えている。JAFも忙しいだろうが、これからどこかでクルマを停止させ、連絡や手続きなどを経て運び込むまではおそらくディーラーも営業時間内であろう――と、そんな訳の分からない心配をしていた。
 冒頭で自動車事故の話を持ち出したから、読者諸氏はここで僕が盛大にガードレールないし先行車に衝突し、あわよくば僕が死亡する事を期待するかもしれない。だが、そうはならなかった。最終的には、僕はブレーキブースターに頼らず自力でブレーキペダルを踏み込み、ATフルードが沸騰するのも構わずに減速させ、路側帯で無理矢理停車させる事で落ち着いた。セレクターを一気にパーキングレンジまで押し込むと、駆動系から離れたエンジンが猛るように回転を上げたが、すぐさま僕はエンジンを切った。奇跡的に他の車を巻き込む事もなかったし、僕のクルマをどこかにぶつけるという事もなかった。
 JAFに連絡しつつ、僕はボンネットを開けてスロットルバルブを点検した。明らかに閉じていない。「自走は無理ですね。エンジン掛けたら吹けっぱなしになるでしょう」 JAFの担当者は「この野郎、生意気にも知ったような口を利きやがって」と思ったかもしれないけど、とりあえずは積載車を手配してくれる事になった。
 ディーラーは僕のクルマと、それを載せた積載車を快く迎えてくれた。そしてすぐさまピットに導き入れると、ものの数分で僕の車に起きた異常の原因を突き止めてくれた――純正交換タイプのエアクリーナーのシーリングであるフェルトが剥がれ、エアクリボックス内部に脱落し、それがエアフローに乗って吸い込まれた挙句、スロットルバルブに噛んだのだった。
 ある意味では、僕のミラジーノはまだ幸運な車だった。スロットルバルブに引っ掛からずに通過した場合、もしかしたら燃焼室手前まで吸い込まれていたかもしれないのだ。しかし、シーリングが脱落した原因は不明のままだった。僅か数週間前に受けた12ヶ月点検の際に、エアクリーナーを外して軽く清掃して貰ったのは確かだが、取り付け直す際にミスがあったかどうかは断定できなかった。なにしろ社外品を使っていたのだから、責任のほとんどは僕にあった。
 危うく大事故になりかねない事件だったのだが、結局はディーラーやメーカーの方で対応できるような話ではなかった。そもそも僕が手に入れた社外品のエアクリーナー自体、出自が分からないのだから話の捻じ込みようがない。おそらくマレーシアあたりで適当に製造された、プロデュア・クリサ用か何かだったのだろう。その後、エアクリはダイハツ純正品に替えたのだが、それまで着けていた社外品とは若干の寸法の誤差があった事が判明した。
 その頃から、それまで大切に乗ってきた自動車ではあったのだが、どことなく魅力が翳って見えるようになってきた。いずれにせよ幸運なクルマではある――僕はこうして生きているのだから。だが、12年目にして様々な不具合が出てきているのは確実だった。足元と正面の風向切替機能が怪しくなりつつあるダイヤルを眺めながら、僕はこのクルマが持っている幸運のうち、あとどれだけが残っているのだろう、と考えた。縁起でもない言い方をするようだが、幸運とはある程度の総量が予め決められているのである。何かある度に、それは少しずつ減ってゆく。サイコロの6の目を何度も連続して出せないように、いつかは幸運が枯れて尽きる瞬間が来るのである。
 そして、その瞬間は案外早く来てしまった。あっさりと。そして突然に。
 ここでようやく、事故の話になる。僕の車が遂に事故に巻き込まれたのだ。
 「巻き込まれた」というのは正確ではないかもしれない。正しくは、僕が乗った車が信号待ちをしている時に、後ろから突然突っ込まれたのだった。
 衝撃が車内を揺るがした直後、僕の左手は冷静にサイドブレーキを引き、ハザードスイッチを叩き、そしてセレクターをパーキングレンジに入れ――そして、助手席側についているドライブレコーダーがしっかりと作動している事を確認して、ボタンを操作して当該記録データが上書きされないようにした。こういう時、人間は奇妙にも冷静な行動をとるようになるというが、その時の僕にとって「事故」はあまりにも身近な概念であり過ぎた。僕は自分の心配と、これから起こるであろう保険の交渉について憂鬱な想いを巡らせながら、警察に連絡し、その場の後処理を出来る限り誠実に努めようとした。
 事故の後処理については、別段書く事もない。僕はとりあえず、傷付いた愛車を走らせて馴染のディーラーに入庫して、板金修理の見積もりを依頼した。ディーラーの担当者は、僕の受けた不幸な事故とその損害について同情を寄せると言い、その20分後には次の車を買う算段について話を進めていた。
 営業担当者の商魂に圧倒されたというと不適切だろうが、僕は実際のところ「今のクルマに何かあったら、新しいクルマを買おう」と決めていたのだった。平成15年登録の自動車が、たとえ最高のメンテナンスを受けていたとしても、これから先も最高のパフォーマンスを発揮してくれるとは信じられなかったのもある。だいいち、税金が増額になってしまう。もしも事故に遭わなくても、直そうと思っていた箇所が500カ所くらいある。それを考えると、これを機会と新車に乗り換えるという選択肢は、充分に考慮するに値した。
 当初、僕は新しいクルマにミラココアを想定していた。別にミラココアに惹かれるところがあった訳ではないが、ミラジーノから乗り換えるとしたら、丸目ヘッドライトやそのクラシカルで、どこかチャーミングなデザインは魅力的であった。ダイハツのディーラーもそれに同意して、順調に見積書を作成していたものの――僕が望むボディカラーが無い事から、計画は大きく修正を迫られる事になった。
 ミラココアには、なんとシルバー系のボディカラーが設定されていなかったのだ。そもそもパステルカラーが基調の車種らしく、僕が考える理想の色――傷がついても目立たず、中古で売る際には値段が高くつく色――が、パールホワイト以外になかったのである。苦笑いをする営業担当者に、僕は吐き捨てるようにして言った。
「誰が、白なんて、乗るんだ」
 思わず、僕の声帯にはウィリアム・シャトナーが宿っていた。「いずれ、水垢が、落ちなくなる……色なのに」
 とはいえ、特注でシルバーに塗装してもらう訳にもいかなかった。さりとて昨今のダイハツが推すような「トールワゴン」みたいな軽自動車にも興味はなかった。いっそのこと、トヨタあたりのディーラーに出向いて普通自動車でも買えばよかったのかもしれないが、そうする事は僕の懐事情が許さなかった。何より、仮の同居人は自動車に関して、おそろしくシンプルな哲学の持ち主だった。「660cc、4人乗り、タイヤが4つ。それで充分」
 乗り換えの計画がボディカラーという些末な問題によって頓挫した後、ダイハツの営業は僕を親身になって慰めてくれた。そして、その時だった。彼から、ダイハツが鋭意開発中であるという、新車種の噂を聞いたのは。それによれば、ダイハツはかつてのミラジーノの後継車種となり得るクルマを開発中であり、2015年の後半にはデビューするという話だった。
 未だ社外秘だというそのクルマは、既に先行予約を開始しているという。――待てよ、どうして外には漏れない筈の新車のことを顧客が知っていて、それに発売前から予約をするなんて事が起こるんだろう? それまでの人生で新車を買った事のない僕にはさっぱり分からなかったが、とにかくも僕はそれから数日後には、まだ形さえ定かには分からない軽自動車を予約していた。よくもまあ、僕にそれだけのお金があったものだと思う。
 仮の同居人は、この件に関しては少なくとも僕自身の買い物なので、一切の異論を差し挟まなかった。
「お金持ちみたいだね。発売前に新車を気前よく予約だなんて」
 そう言って、仮の同居人は笑った。僕も調子を合わせて笑った。
「どんな車?」
 僕は説明できなかった。何しろディーラーが持たせてくれるような資料など、その時点では何も無かったのだ。とにかく僕は「ミラジーノと同じで、ミニに似てる」とだけ答えたような覚えがある。
 世界は回る。僕は仮の仕事に汗を流しながら、同時に保険会社との交渉に明け暮れ、それと同時に定期預金を移したりと忙しく過ごした。そしてある日、ダイハツが公式に新型軽自動車『キャスト』を発表したというニュースを目にした。
 それこそが、僕が予約したクルマだった。キャスト・スタイル。僕の新しいクルマ。
 ミラジーノには似ていなかったが、ミニには似ていた。BMWが生産するようになった、新型ミニの方に。というより、それまでのダイハツ車のどれにも似ていなかった。敢えて他に似ているクルマを挙げるとしたら、ホンダのN-ONEだろうか。随所にN-ONEのエッセンスが含まれているような気がした。いや、間違いない、これはN-ONEだ。だってフューエルリッドが丸いんだから。
 分娩室で初めて対面した自分の子供が、まるで自分に似ていない事に気付いた夫のような気分になりつつも、僕はキャストのデザインになんとかダイハツの独創性を見出そうと苦心していた。常に心がけるようにしているのだが、いい齢をした大人なら欠点ばかりあげつらうのではなく、良い面を探し出すようにしなければならない。悪い所は他人がすぐに見つけ出してくれる。
 外見的には、なんとか2代目ミラジーノの面影を探し出す事が出来た。昨今の軽自動車にありがちな過剰な全高も、運転席からは見えないくらい短いボンネットも、キャストにはない。特にボンネットの長さは重要だと思う。いつかは街路樹に突っ込む日が来るのだから、衝撃緩衝帯としてのボンネットは長く、そしてエンジンルームは膝から離れた位置にある事が望ましい。
 内装は、恥ずかしい話なのだがほとんどよく分からなかった。ハンドブレーキが無い事にまず戸惑ったし、キー差込口が無くてボタンを押すとエンジンがスタートするというギミックにも迷った。カップホルダーはエアコンルーバーに取り付ける方式の物を買わなくても、既に四人分が用意されている。インジケーターストークは昔のように倒れたままではなく一度操作すると定位置に自動復帰するし、それでいてその感触にはプリウスのセレクターレバーのような貧弱さがこれっぽちもない。運転席のパワーウインドウの集中スイッチもあと5年はおそらく壊れないだろうという確信があった。これらの素晴らしいギミックに囲まれながら、しかしミラジーノから乗り換えるという僕のような中年男性にとって、それらは未知の機能ばかりだった。それでも、ステアリングホイールの奥に佇む二眼式メーターパネルと、それに挟まれるようにして配置されたインフォメーションパネルの素晴らしさは、僕にだって分かった。どことなくアウディ風ではあったが、これ以上ないくらいスタイリッシュに見る。エンジンを掛け、パネルに灯が点り、薄く光る針が一度右端まで回転してからゆっくりと左端まで戻るのを見た瞬間、僕はキャストがどれだけN-ONEや、或いはスズキ・ハスラーに似ていても許そうと思った。どうせ外観などは乗っている本人には見えないのだ。本人に見えるのはこの素晴らしいメーターパネルだ。回転計と速度計、時計。それに外気温や燃料計、トリップメーター、アイドリングストップ時間累計――これらの配置のバランスには美しささえ感じてしまう。ただし、それらの情報を管理し操作する為のボタンが、何故か4つも付いている事に気付くまでだが。昔はトリップメーターの切り替え、リセットのみに使っていたボタンが、これが4本も突き出ているのはなんだか気味が悪い。
 ようやく試乗できる機会が巡って来て、既に購入契約を結んだ後ではあったのだが、ためしにちょっとしたドライブをさせてもらった。今までのミラジーノにはなかった機能が目白押しの新車であるから、僕は少しでもそれに慣れておく必要があると思ったのである。何を大袈裟な、たかがオートマチック車じゃないか、ただ踏むだけだろう――読者諸氏がそう思われるのも無理はないと思う。僕もそう思っていた。
 だが、現実は違っていた。初めて体験するCVTは、エンジン回転数と関連があると信じる事が難しい加速特性で僕を恐怖のドン底に叩き込み、アイドリングストップ機能は突然のエンジントラブルを連想させて僕を怯えさせた。ABSもしばらくご無沙汰の機能だったので、ついポンピングブレーキを多用してしまい、せっかく作動しかけた停止前アイドリングストップ機能をキャンセルさせてしまった。それは例えるならば、ブリヂストンの商用車しか知らない人間が突如としてロードバイクを与えられたようなものだった。走る為のツールであるのは分かる。だが、特性も操作も異なる。
 勿論、自転車と同じで、車種独特のギミックに慣れてしまえば、運転そのものは楽しかった。『キャスト』には2014年のムーヴと同じく剛性を増したフレームが採用されていて、足回りのセッティングも改良されているという話だったが、正直その違いは分からなかった。それでもステアリングの応答性は悪くないし、いくら穿き古したズボンの腰のゴムみたいな感触のCVTといえども、加速性能はそれなりに良かった。以前のミラジーノみたいな「いかにも機械としてのクルマ」みたいな懐古趣味的な味付けを求めなければ、非常に乗り易いクルマと言える。それに、ハンドルに付けられた「PWR」と書かれたボタンを押し込めば、燃費性能などクソ喰らえと言わんばかりのリニアなアクセルレスポンスに早変わりするという、ちょっと楽しいオマケまで付いている。
 欠点がないとは言えない。ラッピングフィルムで無理矢理ツートンカラーに仕立て上げられたルーフはいつか剥離する可能性を孕んでいるし、独特のエンボスっぽい表面処理はコーティング等の施工を困難にさせるであろう事を容易に想像させた。フィルムのエッジの処理もあまり格好よくない。まるで二日酔いのある朝、僕が貼ったみたいだった。曲率がキツすぎて距離感が掴み辛いミラーは慣れないうちは気持ちが悪くなりそうだし、これは実際に納車した後の洗車中に判明したのだが、シートや内装の一部に用いられているファブリックは容易に水分を吸収した。衝突被害軽減ブレーキシステム「スマートアシスト」はどうやら気まぐれに警告音を発しているようだし、LEDのヘッドランプは従来のハロゲンに比べて薄暮時の視認性に欠ける印象がある。
 キャストは完璧なクルマではないのだろう。最近の軽自動車とは一線を画した低重心なデザインをしてはいるが、中身はシンプルとは程遠い。複雑な機能を備えているのが悪い事だとは言わないが、使いこなせる人間でなければ無意味だ。おそらく安くはない金額を投じて装備されたであろうアイドリングストップ機能を、乗り込むたびにわざわざ専用のスイッチを押して解除する、僕のような人間が乗る場合は特にそう思う。いや、意味はあるか。エコカー扱いだから税金が安くなる。
 これを書いている最中、数ある軽自動車の中から敢えてキャストを選んだ理由が、僕には分からなくなってきた。僕の場合、ミラジーノの遺伝子を受け継いでいるだろうというのがその一つだったのだが、実際に乗ってみるとミラジーノには似ていない。それに、装備や各種機能は他のメーカー、他のモデルでも用意されているものばかりだ。自問してみよう――本当にキャストで良かったのだろうか?
 僕の答えは勿論イエスだ。
 キャストを選ばない理由など、何処にもないのだから。

Luminox、恐縮だが金を返してくれ

 ルミノックスという時計メーカーがある。
 どんな時計を作るか、それを一言で説明するのは難しいけれど、要は「文字盤に放射性蛍光物質を用いて、暗闇でも視認できる時計を作るメーカー」とでも言おうか。蓄光物質のように光を当てる必要もなく、数年に亘って自ら発光し続けてくれる、普通の人間にはあまり益のないように思えるギミックが備わっているモデルを多数作っている。普通の人間には、だけれど。
 ルミノックスは、自社製品が米海軍特殊部隊に採用されている事で有名である。つまり、僕のようなミリタリーマニアであれば、それを着用する事で幾許かの英雄願望を満足させる事が出来るというわけだ。
 だから僕も、ルミノックス製品をしばらく愛用していた。3050という素っ気ない型番も、時計とカレンダー機能しか付いていない簡素な仕様も、これが軍用レベルの時計であるという先入観を以ってしてみれば、途端に「質実剛健」という言葉に化けるから不思議なものだった。何に使うのか未だに分からない回転ベゼルとか、何で出来てるのか分からない程軽量なケースがもたらす不思議と軽い装着感も、別に気にならなかった。
 しかし、1年ほど使い続けたある日、突然ベルトが切れた。突然ではなかったかもしれない。もしかしたら微細な亀裂が生じていて、それが徐々に広がっていったのかもしれないが、とにかくブチンと切れた事には間違いが無い。米海軍特殊部隊に採用される程の時計のベルトが、こんなに簡単に千切れるとは思っていなかった。もしかしたら僕が滅多に腕時計を外さず、ほとんど24時間も着けたままで生活する習慣の持ち主であった事も影響しているのかもしれないが、あまりに早すぎる破損だった。即座に代理店に電話をしようと思ったのだけれど、生憎と僕の買ったモデルは正規代理店を通して購入しておらず、おまけに購入当時に付属していたワランティカードは行方が分からなくなって久しかった。ベルトは辛うじて交換可能なタイプだったものの、純正交換品はベルトだけで6,000円以上もの値段が付いていた。誰がそんな金額に納得が出来るというのか? どうせもう1年も使ったらまた切れるかも知れないのに。
 同じ6,000円を使うなら、僕にはもっとマトモな使い道がある。それはカシオのDW-5600Eを買う事だ。
 DW-5600Eは俗に「G-SHOCK」と呼ばれる製品の中でも、最もベーシックなモデルだと思う。ソーラーパネルも付いていないし、いわゆるG-SHOCK的な甲冑の様に重厚なベゼルも持たないが、かつて僕が使ってきた中でも、時計としての機能を喪失した事は一度たりともない。電池の消耗も比較的遅い。どれくらい遅いかというと、「DW-5600Eは平均して○年で電池が無くなります」という客観的なレビューがほぼ存在しない程だ。
 僕はルミノックスを購入する遥か以前にも、DW-5600Eを愛用していた。これはベルトが切れる事もなく、ベゼルの角は擦れてツルツルになり、ベルトはテカテカと輝く程に使い込まれていったのだが、それでも頑固に動作し続け、防水性や耐衝撃性は最後まで衰える事がなかった。おまけに「G-SHOCK」という名称が似合わない程に軽量かつ小型のボディのおかげで、ワイシャツなどを着ていてもカフスに引っかかる事がなく、機械類の整備に携わる人間であっても、これが狭い隙間に手を差し込んだ時に引っかかる事はほとんどない。万が一引っかかっても、その衝撃で壊れる事はない。
 ルミノックスのベルトが切れて、その貧弱さに幻滅した今、僕は再びそのDW-5600Eを手にした。これは今まで持っていた物ではなくて、新たに購入したものだ。以前所持していたモデルは紛失してしまった。何故だか分からないけれど、僕はいろんな物を魔法の様に失くしてしまう事がままある。実際に魔法使いなのかもしれない。
 ともあれ、これが人生で2回目に持った5600だけれど、仕様は全く変わっていなかった。厳密には逆輸入モデルなので、細部のマーキング等が異なる筈なのだが、気にしたことがない。どれほど昔のまま変わらないかといえば、世界中の言語で書かれたロゼッタストーンのような取扱説明書をめくるまでもなく、時刻合わせやカレンダーの設定が出来た程だった。
 デジタル時計としては必要最低限の機能しかないものの、僕の必要とする機能は全て備えている。いや、むしろそれ以上か。ストップウォッチのスプリットタイム機能の使い方は、僕には未だに理解できないし、使い道も思いつかない。カレンダーは全自動で曜日まで導き出してくれるし、盤面はルミノックスのように自然発光したりはしないけれど、ELバックライトがボタン一つで光り出す。ソーラー発電や電波時刻合わせといったギミックを持ち合わせた5600の同系も最近発売されたらしいが、少しばかり高価だったので、僕にはやはりシンプルなDW-5600がいちばんしっくりくる。コストパフォーマンスという点に於いて、ここまで優れた腕時計はF91Wを除いて他に知らない。
 久しぶりに腕に嵌めたDW-5600は驚くほどしっくりと来て、僕の手首にぴったりと収まった。ルミノックスよりも若干軽く感じられるし、何より厚みが無いのが大きなポイントだと思う。そして、やはり価格という面からも僕の心理的負担は大きく軽減されている筈だ。ルミノックスはどんなに安いモデルでも数万円はする。米海軍特殊部隊が採用したモデルとは言え、それだけの腕時計をハードに使い倒すのには勇気が要る。そして、実際に僕のルミノックスは、ちょっとハードな使用が祟ってベルトが千切れてしまった。
 一方、DW-5600は――実を言うと逆輸入モデルなのだが――6,000円もあれば購入可能だから、そこまで扱いに神経質にならなくて済む。というよりも、神経質に扱われる事を、おそらくこの腕時計は求めていない。何しろ「G-SHOCK」なのだから。その名を冠した腕時計のうち、最もベーシックなモデルだからといって、その耐久性が他と比べて劣るという訳ではないだろう。
 先にも書いた通り、僕は普段から腕時計を外す事があまりない。寝てる時でも、たとえば夜中に尿意を催してトイレに立った時など、ふと腕時計に目をやる事がある。着けていないとなんだか裸になったような居心地の悪さを感じるのだ。そして、今回手に入れたDW-5600も、これからずっと僕の手首に着けていくつもりだ。きっと惜しくもベルトが切れてしまった今までのルミノックスのように、もしくはそれ以上の働きぶりを発揮してくれる事と思う。

人気度で言えば、きっと「エアマックス」以下

 イメルダ・マルコスというご婦人が、かつて存在した。
 ――いや、厳密に言うと今も生きているから、「存在した」という言い方はおかしいかもしれない。かつて独裁体制が敷かれていた頃のフィリピンの大統領の嫁で、自らとその側近で権力を私して腐り切った政治を執り行った、まことパワフルな女性である。もちろんフィリピン国民の反感を買わないわけがなく、結局は共産主義国家の支援を受けたグループによる人民により革命を起こされ、夫ともども国外へと亡命した。その嫁の腐敗ぶりを物語る有名なエピソードとして、革命後に主の居なくなった宮殿には数千足もの高級靴が残されていた、というものがある。
 僕も最近、靴を一揃い買った。おそらくイメルダ女史が所有していたコレクションのうちで最も安い物よりも安く、最もダサい外見のモデルよりもさらにダサいだろう。米国ベイツ製の『デルタIIスポーツ』だ。様々なカラーバリエーションが存在しているが、今回手に入れたのはコヨーテブラウン色。
 僕にとって、これでベイツの靴は二足目になる。2年ほど前から愛用している『デルタ6』は法執行機関による使用をアピールするだけあってヘビーデューティーな造りだったが、『デルタIIスポーツ』はどちらかというと普通のスニーカーに近い構造になっている。外見的にもこれ見よがしに分厚く巨大なソールなどはなりを潜め、代わりに日常生活により溶け込むデザインが特徴と言える。もっと言えば、特徴がないのが特徴かもしれない。
 だがこのパッとしない運動靴モドキが、実際には様々な工夫と機能に満ち溢れている事は、履いてみればすぐに気付く。一般的な靴よりも厚い靴底は適度なクッション性を発揮して、着用者の足を保護する。爪先やサイドは何か固い芯のような物が入っているのか、型崩れを起こさず、爪先にぎゅっと力を込めても靴全体がしなってしまう事がない。徒競走でもやるなら別だが、僕はこれくらい固い靴の方が好みだ。地面を蹴る時の力の入り方が違う。速くは走れないかもしれないが、しっかりと歩く事は出来るだろう。
 インソールの下にはベイツが特許を持っているという「I.C.S.」というシステムが隠されている。Individual Comfort Systemの略だそうだ。インソールを持ち上げてみると、ソルボセインに似た素材で出来たクラウンギア状のディスクが出てきて、その下の靴底に接する箇所にはディスクが嵌合するよう、同じくクラウンギア状に窪んだ部分がある。ぷにぷにしたディスクは着地の衝撃を和らげるだけでなく、厚みが均一ではなく緩やかに傾斜しているため、嵌合させる山をずらして装着する事で着用者に最適な踵のフィーリングを設定する事が出来る。ディスクの最も分厚い部分を後ろに寄せれば踵に対する衝撃は最小限になるし、逆に一番前を分厚くセットすれば、土踏まず側へのサポートが得られる。横にすればO脚やX脚に対して効果があるかもしれない。
 どうやら『デルタIIスポーツ』には金属製の部品が一切使われていないようだ。靴紐を通すアイレットまでが樹脂で出来ている。何の意味があるのかサッパリ分からないが、きっとアメリカ合衆国には15mおきに金属探知機があって、いちいち金属ハトメやジッパーの付いた靴など履いていられないのかもしれない。
 履き心地は、まぁ、慣れるまでは不快かもしれない。米国人の足に合わせて作られているから、やや幅が狭く感じる。甲のあたりもちょっと窮屈だ。だが、これはある程度履いているうちに馴染んでくるので、今は我慢の時だろう。少なくとも極端に歩きづらいとか、足が痛くなるなどといった事は無い。
 靴底の独特なパターンは非常に強力なグリップを提供してくれる上に、小石や砂が詰まる事が少ないように設計されている。パターンの刻みは『デルタ6』などに比べれば明らかに浅く、耐摩耗性には疑問が残るが、あくまでタウンユースの靴である事を考えれば問題にならないだろう。往来でムーンウォークをしようなどと考えなければ、1年や2年は履き続けられそうだ。
 『デルタIIスポーツ』は非常にパフォーマンスの高い靴と言えるだろうが、欠点もある。僕の個体に限った話かもしれないが、同じ7サイズを買った『デルタ6』に比べてインソールが小さく、爪先がややインソールからはみ出して、靴のインナーとインソールの僅かな隙間に埋まる感じがするのだ。靴そのもののサイズは適正のようだから、社外品のカップインソールでも買ってきて換装すべきだろうか。それに、ジッパーで開閉できないのも僕には辛い。靴紐を緩くセットしておけば靴べら一本でスムーズに履けるだろうが、そんなだらしない履き方をするには勿体ない靴だ。足にピッタリするよう編上げてこそ威力を発揮する靴だ。その点、『デルタ6』などのモデルはしっかりとした靴紐の編上げを維持したまま、ジッパーひとつで簡単に着脱できた。普段履きにはそんな機能なんぞ必要ない、という向きもあるかもしれないが、日頃履く靴だからこそ、気軽に脱いだり履いたりする事の出来るデザインが欲しかったところだ。
 ところで、僕はそこまで靴に拘るタイプの人間ではないけれど、8インチの軍用ブーツや6インチのベイツ製ブーツなど、ミリタリーなデッカい靴をいくつか所持していて下駄箱のスペースを多く消費しているため、仮の同居人から顰蹙を買っている。実を言うと『デルタIIスポーツ』を買う事を決めた時も、中田商店のカタログを読んでた僕に気付いた彼女から「もしも今度ミリタリーシューズを買ったら、足じゃない部分に履かせてやる」とまで通告された程だ。
 だが、『デルタIIスポーツ』がミリタリーシューズであるかどうかは議論の余地があるし、だいいち僕の仮の同居人はまだこれがベイツ製の靴である事に気付いていない。多分ただのスエードの運動靴だと思ってるに違いない。ちょっと色が奇抜かもしれないが、便所サンダルと一緒に置いてあっても違和感はない。重厚感溢れる軍用ブーツが欲しくても、家族の理解が得られない人がいたら、『デルタIIスポーツ』はお勧めの一品だ。「スニーカーです」と言い張る事で、密かにミリタリーかつタクティカルな靴を所持するという喜びに浸る事が出来る。
 イメルダ・マルコス女史のような生活に憧れない訳ではないが、仮に僕が彼女のように高級な靴をやたらと蒐集する事が出来るような地位を手に入れたとしても、きっとこの『デルタIIスポーツ』だけは履き続けたいと思うに違いない。決して煌びやかでも華やかでもないし、価格だって顔が映り込むような艶の革靴なんかに比べればおそらく数分の一に過ぎないけれど、値段では言い表せない所有欲を満たしてくれる。それに靴としての機能も一流であれば、言う事はない。

BLACKHAWK!!!11!!!1!!!

 性懲りも無く刃物の話になる。
 別に僕はナイフのオーソリティーではないし――今日、自分で台所の包丁を砥げる人間がどれだけ居るかは神のみぞ知るところだが――もし自称する事が許されるならば「ひとりぼっちのあいつ」だ。ノーウェア・マン。物理学者で古典学者で植物学者、風刺詩家でピアニストで歯医者、ヘボ詩人だ。いや、嘘だから信じないで欲しい。そのどれでもない。
 だが、数ある銃器に通暁したミリオタの中でも、加えて刃物に多少なりとも知識のある数少ない一人ではあると自負している。何しろ先の大戦で敗北を喫してからというもの、軍事の香りがするものには極端に冷たいこの日本という国に於いて、唯一「実物」を手にする事が出来るシロモノである。完動品の自動小銃を所持する事は叶わぬこの国だが、実際に物を切る事が出来る軍用ナイフを持つ事は許されている――今のところ。一昔前はフェアバーン・サイクス等のダガーも所持出来たのだが、ある事件を切っ掛けに単純所持でさえも法律で罰せられるようになってしまった。
 法律に文句を言っても仕方がない。法よりも我が優先する治世を望むならば、イランかどこかに移住すれば良いだけの話だ。今から書くナイフについても、これは全く日本国内では合法のブツで、まったく合法的に手に入れた事を強調しておきたい。
 今回手に入れたナイフは、BLACKHAWK社の「Mark I Type E」というモデルだ。本当なら「BLACKHAWK!」と感嘆符まで含めて表記するのが正しいのかもしれないが、僕たちミリオタが口にする時はだいたい「ブラックホーク」か、ブラックホーク・インダストリーの略称である「BHI」を用いる。軍用グッズの中でも、とりわけ特殊部隊御用達の品を製造する会社である。
 特殊部隊御用達、なんとも心躍るフレーズではある。だが、その製品のほとんどはアジアで製造されているし、そのクオリティについては良い噂も、悪い噂も聞かない。なんというか、個人的なイメージで言えば「パッとしないメーカー」だ。そのくせ製品の値段は若干割高に感じられる。それに、どこかで見たデザインの製品も数多く存在する。
 「Mark I Type E」も、かつては別のメーカーが製造していたデザインをそのまま踏襲した製品である。BLACKHAWK社とは別にMaster of Defenceというステキなナイフメーカーがあって、そこで作られた「CQD Mark I」というモデルがこの「Mark I Type E」の原型となっている。ただし、MoD社が製造したものが154CM鋼のブレードにエアクラフトアルミ製ハンドルを備えていたのに対して、BLACKHAWK社で製造されたモデルはAUS-8のブレードに強化樹脂製ハンドルと、若干のコストダウンの跡が見られる。おまけに、あまり使い道の思いつかないシートベルトカッターとグラスブレーカーが追加された。
 本当なら、MoDの「CQD Mark I」が欲しかったのだけれど、高価な上に現在ではプレミアが付いていたので、結局は後継モデルであるBLACKHAWK製の廉価版を買う以外に無かったのである。だが、このシートベルトカッターとグラスブレーカーについては、あまり好きになれない。どちらもニッチな需要しかない機能だ。クルマに乗っている時に運転を誤って河に飛び込んでしまい、そのまま水死しかねない所を、体を拘束するシートベルトを切り裂き窓ガラスを割って逃げ延びる、というシチュエーションしか思い浮かばないが、こんなナイフを常時クルマの中に備えておく事はないだろう。
 「常に持ち歩いていれば、別にクルマの中に常備しておかなくてもいいのでは?」と思うかもしれない。確かにそうだけれど、毎日ポケットに入れておくには少々重すぎるナイフだ。正確には測っていないけれど、多分200グラムくらいあると思う。おまけにシートベルトカッターがいつかポケットを切り裂くのではないかという不安から、気安く仕舞う事が出来ないでいる。まあ、そこそこ奥まったところにブレードがあるデザインなので、気にすることはないだろうけど。
 刃はプレーンタイプと波刃の二つから選べるが、僕が選んだのは波刃のタイプだ。AUS-8鋼は比較的リーズナブルな鋼材として知られているが、この種のナイフに使うにも十分な性能を備えていると思う。154CMとかSV30などという高級でハイパフォーマンスな鋼材を使ったナイフも素敵だけれど、そこまで体感できる程の差があるわけでもない。それに、安価な鋼材の方が砥ぎやすい場合もある。刃にはサムスタッドが付属していて、これをつまんで引っ張る事で刃が開くようになっているが、フリッパーは存在しないので、閉じた状態からヒルトを「押し出す」ような開刃は不可能になっている。まぁ、サムスタッドの設計が優れているから、特に不便を感じさせない。
 箱出しの刃付けは非常に鋭いが、これは使っているうちに自分なりのシャープさに変貌するので気にしないでおこう。ナイフの切れ味は最初の刃付けが鋭いかではなく、使い込んだあとに自分で砥ぎ直した時に、思い通りの刃が付くかどうかで判断されるべきだと思う。波刃はきちんとロープを切断できるようなエッジが立っているし、スピアポイントの先端はナイフのグリップ軸と一致しているから、操作性は決して悪くない。
 刃のロック方式はちょっと変わっていて、開かれた刃を閉じる為にはグリップ側面に付いたボタンを押し込みながら畳む必要がある。おそらくクロスボルトのような構造なのだと思うが、さらにそのボルトが不用意に押し込まれないように固定するスライドレバーまで存在する。これを作動させれば、まるでフィクスドブレードのナイフのように強固な固定が可能になる――というのがコンセプトらしい。あまり過信しない方がいいかもしれない。何といっても、結局のところフォールディングナイフは構造的に強度が弱いのは否めないのだから。
 グリップパネルは樹脂製で、その下にはステンレス製のライナーが仕込まれている。グリップ側面には親指を引っ掛ける為のスタッドが設けられていて、ナイフの刃を水平に寝かせた状態でもしっかりと握れるようにデザインされている。――でも何のために? この鋭利なナイフを横に構えて、刃が相手の肋骨の間を通り抜け、心臓目がけて一直線に突き刺せるようになってるとでも言うのだろうか。一部のサイコパスには歓迎される機能かもしれないけれど、僕にとってはナイフの全幅を徒に増加させるだけの悪趣味極まりない仕様だ。これが無ければあと8mmは薄く設計できたろうに。
 BLACKHAWK社は何としてもこのナイフをマルチユーティリティかつ戦闘用に仕上げたかったのだろうが、僕には色々な機能を盛り込み過ぎて目的がどこかへスッ飛んでしまったようにしか見えない。グラスブレーカーは刃を閉じた状態では常に露出していて、触ると尖っていて痛いし、シートベルトカッターはいつか自分のストラップを切り裂くのではないかと不安になる。刃は比較的短い――10cmくらいしかない――から、大きな大根を切る事は出来ない。これで暴漢と戦うなんてもってのほかだ。きっと貴方がこのナイフを逆手に握ってアイスピックのように振り下ろす前に、シートベルトカッターがどこかに引っかかる。
 MoD社が製造していた頃には、グラスブレーカーやシートベルトカッターなどの機能はフィーチャーされていなかった。鋼材や品質などが優れていたという事もあるが、やはりBLACKHAWK社以前に製造されたMark Iが評価されているのは、無駄な機能を削ぎ落して極限まで「フォールディングナイフ」として特化した、そのデザインにあったのだろう。だが、こんにち手に入るMark IはBLACKHAWK社が製造した、テレビの通販番組が商品のオマケに付けるような不必要で誰も求めていない機能が盛りだくさんの折り畳みナイフだ。ついでに言えば、製造はアメリカ合衆国内ではなく台湾で行われているらしい。
 「Mark I Type E」はナイフとしての能力しか求められていなかったのに、車が水没した時に役立つかもしれない機能まで付いてきてしまった、ある意味では不幸なナイフかもしれない。「特殊部隊の装備を製造するメーカーが作ったナイフ」というレッテルに惹かれて手にする分には面白いナイフかもしれないが、じきに「待てよ……特殊部隊にどうしてグラスブレーカーが必要なんだ?」と訝る瞬間が来る。今これを書いてる僕のように。
 一応付け加えておくと、「Mark I Type E」はナイフとして最低限の基準はクリアしていると思う。値段の割には高品質と言っても良い。だが、やはりこれを手にしたいと願うのは、「特殊部隊御用達メーカーが作ったナイフ」という浪漫に依る所が大きいだろう。世界各地の紛争を戦う男たちが手にする仕事の道具に触れて――日本では銃器を手に入れる事は叶わないが――その心を感じたいという人々にとっては、このシートベルトカッター(グラスブレーカー?)は非常に魅力的なアイテムとして映るに違いない。
 もしもコレクションとして価値を見出せるならば、「Mark I Type E」はその素質を充分に持っている。

プロフィール

HN:
Janek Chenowski
性別:
非公開

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