Twitterで懇意にしていたフォロワーさんについて書くことにする。
彼と出会ったのは2013年の夏、大洗でだった。誰が誘ったのかは思い出せないけれど、『ガールズ&パンツァー』の聖地巡礼を一緒にやらないかという申し出があったのだった。
当時私は無職で、暇だけは有り余っていたから、この誘いに乗って遥か1000マイル彼方の茨城県は大洗へと向かった。そこで初めて、Twitterのフォロワーさんの一人である彼と出会ったのだった。
僕はその時、野球帽に英国国旗のワッペンを付けていた (この辺の事情に疎い人のために説明しておくと、オタクの帽子やジャケットの袖にはマジックテープが縫い付けてあって、その時々で気分に応じたワッペンを貼り付ける事が出来る) のだけれど、彼はそれを見て相好を崩した。「ヤネク・チェノウスキさんですね?」 僕は答える代わりに、右腕を高く上げた左足の下に通し、片足立ちをしながら握手を求めた。この「メイソン式握手」に彼はすぐさま応えて、付け加えるなら、後に僕と会う度にこれをネタにするくらい気に入ってくれたらしい。
2013年の大洗での出会いについて、これ以上付け加える事はないと思う。『ヴィンテージクラブ むらい』でギネスを共に飲んだ事くらいかな (この時、僕は自動車で大洗に来ていたのだけれど、まだ陽は高かった。これから自動車で移動するのに5時間はあったので、それまでにアルコールは抜けると思っていた。実際そうだったと思う) 彼と共に巡る大洗は素晴らしかった。『ガールズ&パンツァー』の思い出を巡る旅。それだけではない。今でも思い出すのは、当時の大洗シーサイドステーションで展示されていた、2011年の大地震による大洗町の被害を展示するスペースで彼が見せた表情だった。津波に浸かって汚れたレゴブロック、流される乗用車の写真。それらを前に、それまで見ていた彼のいつもの優しそうな表情が険しくなっていく様を、たぶん僕はこれからも折に触れ思い出すだろうと思う。彼はそうした悲劇に対して、僕が持ち得ないような全うな共感を持つ事が出来たのだ。
彼とはその後も出会う機会があった――『ザ・ロック』という映画の鑑賞会だ。別に映画館で行われた訳じゃなくて、確かカラオケボックスだったと思う。ほかにも多くのTwitterの仲間たちが集って、酒や料理に舌鼓を打ちながら、誰もが500回は観たような映画を鑑賞したように記憶している
だけれど、この時、僕は彼と語り合った内容を今でも覚えている。「ショーン・コネリー。彼がアメリカの映画に出演する時、常に英国諜報部の意を受けて潜伏しているスパイの役だというのは興味深いとは思いませんか?」彼はいつもの笑顔で同意した。その他の細かい出来事については記憶がない――鑑賞会が終わった後、僕がカラオケで『The Battle Hymn of the Republic』を歌った事以外には。
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ここから少し年月は過ぎる。僕は新しい仕事を得て、おそらく彼の人生にもいくつかの転機があったのだろうと思う。我々はTwitterという共通のツールで繋がっていたけれど、そうした事柄について相互に理解する事はなかったと思う。『インターネットで知り合った人と直接会ってはいけません』というルールが根強く染みついた世代だ (待ってくれ、彼はいったい何歳だったんだ? 僕は?) ただただ年月は過ぎ去り、Twitter上の活動がなんとなく目に入るだけの日々が続いた。誤解の無い様に言っておきたいのだけれど、僕のような世代 (小学校に通っていた頃、何かあったら公衆電話で自宅に連絡できるように、お守り袋に入った100円玉を持たされていた世代) では、この種の付き合いはそう異様なものではないと思う。近年の若い世代ではちょっと様相は異なるのかもしれない。少なくとも僕は――僕は実生活の自分とインターネット上のそれとを明確に分け、Twitter上の情報から僕の「本当の」素性が割れる事がないようにずっと配慮していた。この習慣は今でも変わっていない。今これを読んでいる貴方には、僕の正体はたぶん分からないだろうと思う。
僕の正体はどうでもいい。ある日、2021年の3月の半ばだったと思うけれど、彼からTwitterのダイレクトメールが来た。「4月10日にサバゲーの会を主催するので、参加しないか」という内容だった。
当時、僕はサバゲーから離れて5年が経っていた。彼と最後に出会ってからも4年が過ぎていた。僕はそのダイレクトメールを最初は無視し、2日後には頭の中の「検討」リストに追加し、そして最後には「参加します」という返事を出していた。どうしてなのかは分からない。きっと神様しか知らないだろう。
ともあれ、2021年の4月10日、僕は上司に直談判して奪い取った休日を利用して (土日に休みが取れない仕事だってある) 車を走らせ、酒々井とかいうこの世の果てまで辿り着いた (神様はなんだってまたこんな土地を造り給うたんだ?) そこで僕は彼と数年ぶりに再会し、メイソン式握手を交――わさなかった。コロナウイルスのせいだ。
だけど、サバゲーの会は素晴らしかった。主旨は「サバイバルゲームの傍ら、デイキャンプをする」というもので、僕はそのどちらにもある程度の知識があった。サバゲーはともかく、僕の知っている「キャンプ」が独り惨めにアルコールストーブで飯盒の中の内容物を掻き混ぜ、その成果物を右の靴下に挟んでいたスプーンで掻き取って口に運ぶだけのイベントだと勘違いしていたにしろ、それでも非常に有意義な一日を過ごした。その時、僕は荷物の中に特定小電力無線機を持ち込んでいて、これは彼も同じく持参していた装備だった。サバゲーはある程度離れたチームへ同時にゲームの進行などの指示を出す必要があって、無線機の役割がとても大きいのだけれど、これを僕が持っている事が幸いしたのだと思う。「ヤネクさんは黄色チームの統制をお願いします」彼はそう言って僕を頼ってくれた。
サバゲーの会は順調に進んだ――と思う。昼食の時間、バーベキューグリルなどを持ち込んで豪勢な料理をこしらえた人たちが居たにも関わらず、僕がアルコールストーブと飯盒でこしらえた「S.O.S.」を (今だから暴露しちまおう。「S.O.S.」とは「屋根板に乗った糞」の意味だ。見た目がそうだから) 彼は試食してくれた。彼はそれを称賛し、僕はそれを真面目に受け取りはしなかったけれど、そうして他人の気持ちを慮る彼の態度にひどく心を動かされた。
会は好調のうちに終わり、彼はいつか近いうちに再びサバゲーあるいはデイキャンプの会を催したいと表明して、僕らは解散した。僕個人の話になるけれど、5年ぶりに復帰したサバイバルゲームに於いて、そうまんざらでもない働きが出来た事に対して、おれもまだそんな年寄りじゃないぞ―—なんて自惚れたりもした。
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ここから先を書くのは忍びない。
だけど、書かなければ――書かなくても、彼は許してくれるかもしれない。でも、僕は僕自身を許さないだろう。
2021年の4月13日だったと思うけれど、僕は当時酔っぱらっていて (市井の人とは違うスケジュールで仕事をしているから、酔っぱらう時間も非常識だ) 、最初はそのTwitterのダイレクトメールに気が付かなった。ようやくそれに気付いて携帯電話を見たとき、そこにはこんな文面があった。
「まさるさんが今朝お亡くなりになられたそうです」
僕は酔っていた。それに、酔っていなくても、そんな事を即座に理解し、受け入れる事なんて出来たとは思えない。素面だったらどんな衝撃を受けていたか、想像すらできない。
僕はそれに返信した。「神様」 それ以外に言葉が出るだろうか? 3日前には酒々井のド田舎で元気に走り回っていたのに。
実際、それからの僕の行動はちょっとおかしくなる。正常性バイアスが僕の行動をほとんど支配し、Twitterに投稿するツイートは普段通り、馬鹿馬鹿しい内容を心掛けた (これには細心の注意を払ったつもりだ。今までで最高のくだらないツイートだったに違いない) 職場では普段通り振舞った (ネット上の知り合いの訃報? お前の現実世界に影響する訳じゃなかろうが!) 神様からは返信がなかった (最後に教会へ行ったのは2006年だ) どうにもやりきれなくて、僕はついに仮の同居人に相談した。「ネット上の知り合いに過ぎないし、実際に会った事も数度しかないし、だいいち彼の本名も知らない。なのに、なんだってこんなに僕は動揺しているんだろう?」
彼女は目ン玉をぐるりと回して、答えた。「会って確かめたら?」
僕には勇気がなかった。それに仕事があった。だいいち彼の葬儀がいつどこで執り行われるか知らなかった (これに関しては、Twitterの親切なフォロワーさんがのちに教えてくれた――彼らに神様のご加護がありますように!) そんな状態で一週間を過ごしながら、僕はどうにもヘンテコな心理状態のままでいた。
「またお会いしましょう」と彼はのたまった。またお会いしましょう。なんてこった。もう会えないのに――大嘘つきめが。そして4月19日を迎えた。彼の通夜の予定だった。僕は事前にTwitterを介して「参加できない」と伝えていた。そして、現実世界の仕事に精を出そうとして、この日もあくせく働いていた。
そんなときだった。彼以外に「大嘘つき」がもう一人、現れた。
その日面談予定だった僕のクライアントが「予定が合わないので後日改めて」と連絡を寄越したのだった。
「おまえのかあちゃん……」僕は最後まで言い切らずに電話を切った。そして、僕の上司のデスクに駆け寄って、ここには書けないような理由を並べ立てて午後の半休を奪い取った。それだけでは満足せず、僕はさらに総務部へと足を延ばし、軽く身体的脅威を仄めかしながら社有車の貸し出し許可を申請し(様式は全部事後だ、分かってるよな? うん?)、自分のロッカーから「礼服キット」を取り出すと、すぐに通夜の会場へと車を走らせた。
何が僕をこんな行動に走らせたのか、どうして職場の上司や同僚にまくし立ててまで通夜に参加しようと思ったのか? 答えは簡単だった。「またお会いしましょう」彼はのたまった。だからまたお会いするのだ。彼は約束を破らなかった。彼に約束を破らせるような事があってはならない。僕は彼と最後にもう一度会わなければならない。彼は嘘つきなんかじゃない。
3時間ほど車を走らせて、斎場へと到着した。途中でコンビニへと寄り、香典袋を買い、レジのアルバイトの男の子を脅して「この札をやる、だからレジスターの中からできるだけ皺くちゃの札を俺に寄越せ」と詰め寄る事も忘れなかった。そして、彼と最後に出会う場所となる斎場へと到着したのは、通夜の始まる10分前だった。
式は、僕の今まで経験した通夜と同じように進んだ。結婚式と通夜の違いは、サプライズが無い事だ。彼は死んでいた――そして、生き返らなかった。
僕は認めたくないのだけれど、この時、僕はなんだかよく分からない液体が下瞼から滲み出てくるのを感じた。右手はポケットのばっちいハンカチに伸びた――誰もこれを見ていなかった事を願う。僕はタフで無名なチベットスナギツネだ。泣いている姿なんて見られたくない。
だけど、僕は何が自分に涙を溢れさせたのか、はっきりと知っていた。それは悲しみではない。僕は悲しみを感じるほど、彼を知らない。それに、その日その斎場に並んだ人々よりも自分が大きな悲しみを抱えているなどと自惚れるほど、自己愛に満ちてもいない。
ただ、惜しくてたまらなかった。
僕と趣味を同じくする男――ガールズ&パンツァー、モンティ・パイソンズ、『女王陛下のユリシーズ号』、『シンドラーのリスト』、サバゲー、キャンプ…… 僕と同じ鋳型から作られた男。神様が同じ鋳型から造り給うた男 (神様は後に鋳型を壊してしてしまったに相違ない。償却というやつだ) ―—これほどの知識、諧謔、才能を備えた男――それが棺の中に横たわって、二度と起き上がる事が無いという事実を、考える事さえ僕には耐えられないのだ。彼はもう「メイソン式握手」を僕とは交わしてくれない。
参列者と言葉を交わした後、僕は斎場を後にした。僕にはまだ重要な使命が残っている――総務を脅して借り出した社有車を会社に戻さなければならない。
この話にオチはない。
彼の、彼との記憶を文字に残そうとして、急いでタイプした。
それでも、最後に、僕は願わずにはいられない。
彼と関わりのあった人々、今回の悲劇に泣く人々――その悲しみがいつか癒えて、彼との美しい思い出だけが彼らの心にいつまでも残る事を。
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