自動車事故の話になる。
あんまり書きたいとは思わない話題だけれど、一人のドライバーとしてこうした問題から目を逸らす事は出来ない。ある損保会社のアンケート調査によれば、自分が被害者となったケースも含めると、実に3人に2人の割合で自動車事故に巻き込まれているという驚くべきデータもあるのだ。警察庁のデータは2014年の1月末までに、一日平均して1,565件の交通事故があった事を示しているし、いつ自分が当事者となるかは分からない。
僕のミラジーノも、中古で買ってから5年ほどは幸運に恵まれて壊れもせず無事に走り続けてきたのだが、如何せん経年劣化というものは恐ろしいもので、あちこちガタが来ていた事は否めなかった。エンジンは好調でも足回りはガタガタだったし、エアコンなどはおそらくコンプレッサーが異音を発していた。「次は何処を直そうかな」と思案に暮れながら走っていた時、事件は起きた。アクセルペダルが戻らなくなったのだ。
国道を50km/hほどで走っている時、ふとアクセルを緩めようと足を上げると、普段なら感じられるスプリングのテンションが感じられなくなった。そして回転計を見ると、普段なら1600回転くらいまでゆっくりと下がる筈の針が2000回転を示したまま頑として動かないのである。嫌な予感と共に、アクセルペダルの下に爪先を突っ込んで持ち上げてみたり、軽く横から小突いてみたりした結果、僕は「理由は不明だがスロットルバルブが閉まらなくなった」という結論に達した。
ブレーキが利かなくなった場合の対処はいくらでもある。だが、アクセルが戻らなくなった場合の対処というのは、恥ずかしい事に僕はそれまで想像したこともなかった。一瞬だけ、セレクターをニュートラルに入れれば駆動系と出力が切れるのではないかと思い至ったのだが、スロットルバルブが閉まらないままニュートラルに入れた場合、どこまでエンジンの回転が上がるか分かったものではなかった。しかもなお悪い事に、大抵の車はスロットルが開いている時にはブレーキのブースターが上手く作動しなくなるのである。
とりあえずハザードランプを点灯させ、アクセルが戻らなくなったデス・トラップに乗りながら、僕は死を覚悟するというよりは、これからどうやってクルマを停めてJAFあたりに連絡し、いつものディーラーに駆け込むかという事を考えていたと思う。時計が4時12分を指していた事を覚えている。JAFも忙しいだろうが、これからどこかでクルマを停止させ、連絡や手続きなどを経て運び込むまではおそらくディーラーも営業時間内であろう――と、そんな訳の分からない心配をしていた。
冒頭で自動車事故の話を持ち出したから、読者諸氏はここで僕が盛大にガードレールないし先行車に衝突し、あわよくば僕が死亡する事を期待するかもしれない。だが、そうはならなかった。最終的には、僕はブレーキブースターに頼らず自力でブレーキペダルを踏み込み、ATフルードが沸騰するのも構わずに減速させ、路側帯で無理矢理停車させる事で落ち着いた。セレクターを一気にパーキングレンジまで押し込むと、駆動系から離れたエンジンが猛るように回転を上げたが、すぐさま僕はエンジンを切った。奇跡的に他の車を巻き込む事もなかったし、僕のクルマをどこかにぶつけるという事もなかった。
JAFに連絡しつつ、僕はボンネットを開けてスロットルバルブを点検した。明らかに閉じていない。「自走は無理ですね。エンジン掛けたら吹けっぱなしになるでしょう」 JAFの担当者は「この野郎、生意気にも知ったような口を利きやがって」と思ったかもしれないけど、とりあえずは積載車を手配してくれる事になった。
ディーラーは僕のクルマと、それを載せた積載車を快く迎えてくれた。そしてすぐさまピットに導き入れると、ものの数分で僕の車に起きた異常の原因を突き止めてくれた――純正交換タイプのエアクリーナーのシーリングであるフェルトが剥がれ、エアクリボックス内部に脱落し、それがエアフローに乗って吸い込まれた挙句、スロットルバルブに噛んだのだった。
ある意味では、僕のミラジーノはまだ幸運な車だった。スロットルバルブに引っ掛からずに通過した場合、もしかしたら燃焼室手前まで吸い込まれていたかもしれないのだ。しかし、シーリングが脱落した原因は不明のままだった。僅か数週間前に受けた12ヶ月点検の際に、エアクリーナーを外して軽く清掃して貰ったのは確かだが、取り付け直す際にミスがあったかどうかは断定できなかった。なにしろ社外品を使っていたのだから、責任のほとんどは僕にあった。
危うく大事故になりかねない事件だったのだが、結局はディーラーやメーカーの方で対応できるような話ではなかった。そもそも僕が手に入れた社外品のエアクリーナー自体、出自が分からないのだから話の捻じ込みようがない。おそらくマレーシアあたりで適当に製造された、プロデュア・クリサ用か何かだったのだろう。その後、エアクリはダイハツ純正品に替えたのだが、それまで着けていた社外品とは若干の寸法の誤差があった事が判明した。
その頃から、それまで大切に乗ってきた自動車ではあったのだが、どことなく魅力が翳って見えるようになってきた。いずれにせよ幸運なクルマではある――僕はこうして生きているのだから。だが、12年目にして様々な不具合が出てきているのは確実だった。足元と正面の風向切替機能が怪しくなりつつあるダイヤルを眺めながら、僕はこのクルマが持っている幸運のうち、あとどれだけが残っているのだろう、と考えた。縁起でもない言い方をするようだが、幸運とはある程度の総量が予め決められているのである。何かある度に、それは少しずつ減ってゆく。サイコロの6の目を何度も連続して出せないように、いつかは幸運が枯れて尽きる瞬間が来るのである。
そして、その瞬間は案外早く来てしまった。あっさりと。そして突然に。
ここでようやく、事故の話になる。僕の車が遂に事故に巻き込まれたのだ。
「巻き込まれた」というのは正確ではないかもしれない。正しくは、僕が乗った車が信号待ちをしている時に、後ろから突然突っ込まれたのだった。
衝撃が車内を揺るがした直後、僕の左手は冷静にサイドブレーキを引き、ハザードスイッチを叩き、そしてセレクターをパーキングレンジに入れ――そして、助手席側についているドライブレコーダーがしっかりと作動している事を確認して、ボタンを操作して当該記録データが上書きされないようにした。こういう時、人間は奇妙にも冷静な行動をとるようになるというが、その時の僕にとって「事故」はあまりにも身近な概念であり過ぎた。僕は自分の心配と、これから起こるであろう保険の交渉について憂鬱な想いを巡らせながら、警察に連絡し、その場の後処理を出来る限り誠実に努めようとした。
事故の後処理については、別段書く事もない。僕はとりあえず、傷付いた愛車を走らせて馴染のディーラーに入庫して、板金修理の見積もりを依頼した。ディーラーの担当者は、僕の受けた不幸な事故とその損害について同情を寄せると言い、その20分後には次の車を買う算段について話を進めていた。
営業担当者の商魂に圧倒されたというと不適切だろうが、僕は実際のところ「今のクルマに何かあったら、新しいクルマを買おう」と決めていたのだった。平成15年登録の自動車が、たとえ最高のメンテナンスを受けていたとしても、これから先も最高のパフォーマンスを発揮してくれるとは信じられなかったのもある。だいいち、税金が増額になってしまう。もしも事故に遭わなくても、直そうと思っていた箇所が500カ所くらいある。それを考えると、これを機会と新車に乗り換えるという選択肢は、充分に考慮するに値した。
当初、僕は新しいクルマにミラココアを想定していた。別にミラココアに惹かれるところがあった訳ではないが、ミラジーノから乗り換えるとしたら、丸目ヘッドライトやそのクラシカルで、どこかチャーミングなデザインは魅力的であった。ダイハツのディーラーもそれに同意して、順調に見積書を作成していたものの――僕が望むボディカラーが無い事から、計画は大きく修正を迫られる事になった。
ミラココアには、なんとシルバー系のボディカラーが設定されていなかったのだ。そもそもパステルカラーが基調の車種らしく、僕が考える理想の色――傷がついても目立たず、中古で売る際には値段が高くつく色――が、パールホワイト以外になかったのである。苦笑いをする営業担当者に、僕は吐き捨てるようにして言った。
「誰が、白なんて、乗るんだ」
思わず、僕の声帯にはウィリアム・シャトナーが宿っていた。「いずれ、水垢が、落ちなくなる……色なのに」
とはいえ、特注でシルバーに塗装してもらう訳にもいかなかった。さりとて昨今のダイハツが推すような「トールワゴン」みたいな軽自動車にも興味はなかった。いっそのこと、トヨタあたりのディーラーに出向いて普通自動車でも買えばよかったのかもしれないが、そうする事は僕の懐事情が許さなかった。何より、仮の同居人は自動車に関して、おそろしくシンプルな哲学の持ち主だった。「660cc、4人乗り、タイヤが4つ。それで充分」
乗り換えの計画がボディカラーという些末な問題によって頓挫した後、ダイハツの営業は僕を親身になって慰めてくれた。そして、その時だった。彼から、ダイハツが鋭意開発中であるという、新車種の噂を聞いたのは。それによれば、ダイハツはかつてのミラジーノの後継車種となり得るクルマを開発中であり、2015年の後半にはデビューするという話だった。
未だ社外秘だというそのクルマは、既に先行予約を開始しているという。――待てよ、どうして外には漏れない筈の新車のことを顧客が知っていて、それに発売前から予約をするなんて事が起こるんだろう? それまでの人生で新車を買った事のない僕にはさっぱり分からなかったが、とにかくも僕はそれから数日後には、まだ形さえ定かには分からない軽自動車を予約していた。よくもまあ、僕にそれだけのお金があったものだと思う。
仮の同居人は、この件に関しては少なくとも僕自身の買い物なので、一切の異論を差し挟まなかった。
「お金持ちみたいだね。発売前に新車を気前よく予約だなんて」
そう言って、仮の同居人は笑った。僕も調子を合わせて笑った。
「どんな車?」
僕は説明できなかった。何しろディーラーが持たせてくれるような資料など、その時点では何も無かったのだ。とにかく僕は「ミラジーノと同じで、ミニに似てる」とだけ答えたような覚えがある。
世界は回る。僕は仮の仕事に汗を流しながら、同時に保険会社との交渉に明け暮れ、それと同時に定期預金を移したりと忙しく過ごした。そしてある日、ダイハツが公式に新型軽自動車『キャスト』を発表したというニュースを目にした。
それこそが、僕が予約したクルマだった。キャスト・スタイル。僕の新しいクルマ。
ミラジーノには似ていなかったが、ミニには似ていた。BMWが生産するようになった、新型ミニの方に。というより、それまでのダイハツ車のどれにも似ていなかった。敢えて他に似ているクルマを挙げるとしたら、ホンダのN-ONEだろうか。随所にN-ONEのエッセンスが含まれているような気がした。いや、間違いない、これはN-ONEだ。だってフューエルリッドが丸いんだから。
分娩室で初めて対面した自分の子供が、まるで自分に似ていない事に気付いた夫のような気分になりつつも、僕はキャストのデザインになんとかダイハツの独創性を見出そうと苦心していた。常に心がけるようにしているのだが、いい齢をした大人なら欠点ばかりあげつらうのではなく、良い面を探し出すようにしなければならない。悪い所は他人がすぐに見つけ出してくれる。
外見的には、なんとか2代目ミラジーノの面影を探し出す事が出来た。昨今の軽自動車にありがちな過剰な全高も、運転席からは見えないくらい短いボンネットも、キャストにはない。特にボンネットの長さは重要だと思う。いつかは街路樹に突っ込む日が来るのだから、衝撃緩衝帯としてのボンネットは長く、そしてエンジンルームは膝から離れた位置にある事が望ましい。
内装は、恥ずかしい話なのだがほとんどよく分からなかった。ハンドブレーキが無い事にまず戸惑ったし、キー差込口が無くてボタンを押すとエンジンがスタートするというギミックにも迷った。カップホルダーはエアコンルーバーに取り付ける方式の物を買わなくても、既に四人分が用意されている。インジケーターストークは昔のように倒れたままではなく一度操作すると定位置に自動復帰するし、それでいてその感触にはプリウスのセレクターレバーのような貧弱さがこれっぽちもない。運転席のパワーウインドウの集中スイッチもあと5年はおそらく壊れないだろうという確信があった。これらの素晴らしいギミックに囲まれながら、しかしミラジーノから乗り換えるという僕のような中年男性にとって、それらは未知の機能ばかりだった。それでも、ステアリングホイールの奥に佇む二眼式メーターパネルと、それに挟まれるようにして配置されたインフォメーションパネルの素晴らしさは、僕にだって分かった。どことなくアウディ風ではあったが、これ以上ないくらいスタイリッシュに見る。エンジンを掛け、パネルに灯が点り、薄く光る針が一度右端まで回転してからゆっくりと左端まで戻るのを見た瞬間、僕はキャストがどれだけN-ONEや、或いはスズキ・ハスラーに似ていても許そうと思った。どうせ外観などは乗っている本人には見えないのだ。本人に見えるのはこの素晴らしいメーターパネルだ。回転計と速度計、時計。それに外気温や燃料計、トリップメーター、アイドリングストップ時間累計――これらの配置のバランスには美しささえ感じてしまう。ただし、それらの情報を管理し操作する為のボタンが、何故か4つも付いている事に気付くまでだが。昔はトリップメーターの切り替え、リセットのみに使っていたボタンが、これが4本も突き出ているのはなんだか気味が悪い。
ようやく試乗できる機会が巡って来て、既に購入契約を結んだ後ではあったのだが、ためしにちょっとしたドライブをさせてもらった。今までのミラジーノにはなかった機能が目白押しの新車であるから、僕は少しでもそれに慣れておく必要があると思ったのである。何を大袈裟な、たかがオートマチック車じゃないか、ただ踏むだけだろう――読者諸氏がそう思われるのも無理はないと思う。僕もそう思っていた。
だが、現実は違っていた。初めて体験するCVTは、エンジン回転数と関連があると信じる事が難しい加速特性で僕を恐怖のドン底に叩き込み、アイドリングストップ機能は突然のエンジントラブルを連想させて僕を怯えさせた。ABSもしばらくご無沙汰の機能だったので、ついポンピングブレーキを多用してしまい、せっかく作動しかけた停止前アイドリングストップ機能をキャンセルさせてしまった。それは例えるならば、ブリヂストンの商用車しか知らない人間が突如としてロードバイクを与えられたようなものだった。走る為のツールであるのは分かる。だが、特性も操作も異なる。
勿論、自転車と同じで、車種独特のギミックに慣れてしまえば、運転そのものは楽しかった。『キャスト』には2014年のムーヴと同じく剛性を増したフレームが採用されていて、足回りのセッティングも改良されているという話だったが、正直その違いは分からなかった。それでもステアリングの応答性は悪くないし、いくら穿き古したズボンの腰のゴムみたいな感触のCVTといえども、加速性能はそれなりに良かった。以前のミラジーノみたいな「いかにも機械としてのクルマ」みたいな懐古趣味的な味付けを求めなければ、非常に乗り易いクルマと言える。それに、ハンドルに付けられた「PWR」と書かれたボタンを押し込めば、燃費性能などクソ喰らえと言わんばかりのリニアなアクセルレスポンスに早変わりするという、ちょっと楽しいオマケまで付いている。
欠点がないとは言えない。ラッピングフィルムで無理矢理ツートンカラーに仕立て上げられたルーフはいつか剥離する可能性を孕んでいるし、独特のエンボスっぽい表面処理はコーティング等の施工を困難にさせるであろう事を容易に想像させた。フィルムのエッジの処理もあまり格好よくない。まるで二日酔いのある朝、僕が貼ったみたいだった。曲率がキツすぎて距離感が掴み辛いミラーは慣れないうちは気持ちが悪くなりそうだし、これは実際に納車した後の洗車中に判明したのだが、シートや内装の一部に用いられているファブリックは容易に水分を吸収した。衝突被害軽減ブレーキシステム「スマートアシスト」はどうやら気まぐれに警告音を発しているようだし、LEDのヘッドランプは従来のハロゲンに比べて薄暮時の視認性に欠ける印象がある。
キャストは完璧なクルマではないのだろう。最近の軽自動車とは一線を画した低重心なデザインをしてはいるが、中身はシンプルとは程遠い。複雑な機能を備えているのが悪い事だとは言わないが、使いこなせる人間でなければ無意味だ。おそらく安くはない金額を投じて装備されたであろうアイドリングストップ機能を、乗り込むたびにわざわざ専用のスイッチを押して解除する、僕のような人間が乗る場合は特にそう思う。いや、意味はあるか。エコカー扱いだから税金が安くなる。
これを書いている最中、数ある軽自動車の中から敢えてキャストを選んだ理由が、僕には分からなくなってきた。僕の場合、ミラジーノの遺伝子を受け継いでいるだろうというのがその一つだったのだが、実際に乗ってみるとミラジーノには似ていない。それに、装備や各種機能は他のメーカー、他のモデルでも用意されているものばかりだ。自問してみよう――本当にキャストで良かったのだろうか?
僕の答えは勿論イエスだ。
キャストを選ばない理由など、何処にもないのだから。