ゲームの倫理審査を行うCEROという組織がある。
ESRBとかPEGIの国内版みたいなもので、僕の不完全な知識によれば「ゲームの表現の内容によって対象年齢区分を設けてゾーニングする」機関であるらしい。もしかしたら、「ゲームで斯様な表現はまかりならん」と規制する役目も持っているのかもしれない。我々が送るごく普通のゲームライフに於いては「ゲームの年齢制限を定める所」という認識が一般的だろう。
世間のリベラリストや18歳以下の子供はこの手の審査機関やレーティングを嫌うが、僕としてはその良い面を評価したいと常々思っている。
テレビゲームの映像表現が進化するにつれて、ソフトメーカーは鮮明かつリアルなグラフィックを一つの大きなコンテンツとして重視するようになったが、その過程で「残虐な表現」や「性的な表現」がかつて大きな問題となった。『ドラゴンクエスト』でドット絵で表示された「あぶないみずぎ」は単なるギャグだったが、ゾンビの頭が四肢が吹っ飛ぶような『バイオハザード』はやりすぎだと見做されるようになった時期があった記憶がある。
「テレビゲームの内容が現実生活に影響を及ぼす」と真剣に信じている人たち――多分パソコンが満足に扱えず、全てのゲーム機を「ファミコン」と呼ぶ世代――はこれを大きな問題と感じ、一方で批判を恐れたメーカーは割と大人しいゲームを量産するようになり、過激な表現が売りの外国産ゲームは国内で手に入りにくくなった。当時の子供たちは、きっともうゾンビの手足を吹っ飛ばしたり、迫りくるドイツ兵やロシアのテロリストの頭に銃弾を撃ち込む事が出来ないかもしれないと、意気消沈した事だと思う。
しかし、CEROが販売区分のゾーニングを強化した事によって、メーカーはある程度明確な基準の下に「許された範囲の中での過激な表現」を追及する事が出来るようになったのではないかと思う。外国産ゲームのローカライズについても同様の事が言える。対象年齢以下の子供はプレイできないが、今では我々は安心してサン・アンドレアスを混沌のドン底に落とし込めるし、スペツナズのハゲが黒人兵士の頭を鉄パイプでカチ割る様を眺める事が出来る。
不文律の下に、緑色の血を撒き散らすゾンビやロボット相手にライフルを撃ちまくるようなゲームが氾濫する未来は回避されたのだ。
それだけで、CEROの存在価値はあったと言っていいだろう。
ところで、先日手に入れた『Metro: Last Light』海外版だが、これも日本語版はCEROによって「Z」区分が仮で与えられているようだ。詳しいゾーニングの基準は不明だが、おそらくPEGI-18と同等だと思う。日本語版の発売は8月だそうだが、わざわざ海外版を手に入れた経緯は他でもない――待てなかったのだ。あの暗く、陰鬱で、恐怖に満ちた、核戦争後のモスクワのメトロに戻るのが。
『Metro: Last Light』は前作『Metro 2033』の続編にあたる。前作はマルチエンディングで、「良い」エンディングと「悪い」エンディングの二種類が存在したが、今作は「悪い」方のストーリーを踏襲した形になっている。いや、「悪い」という表現は不適切か。よく我々はトゥルーエンドとかバッドエンドといった術語を使うが、『Metro』に関して言えば「ノーマル」なエンディングと、「オルタナティヴ」なエンディングしか存在しない。オルタナティヴな方はイースター・エッグみたいなものだ。本筋には関係ない。
ストーリーに関するレビューはネタバレになるので、さらっと書くだけに留めようと思う。まず世界観――前作でユーザーを楽しませた荒廃した核戦争後の世界、残された資源で生き延びようとする人々、そしてモスクワの迷路のようなメトロを舞台にしたドラマなど、前作の要素はしっかりと受け継いでいる。しかし、前作が「襲い来るミュータントから人類が生き延びる」というテーマを扱っていたのに対し、今作では「核戦争を経験してもなお、人類は争いを続けるのか」という人間性にまつわるエピソードが展開される。ここに戸惑いを覚えるユーザーは多いかもしれない。いや、そうでもないか。CEROによってZ指定を受けたゲームをプレイするような人間が、今更人間の醜悪さを見せつけられた程度でたじろぐ筈がない。ありがちで、退屈なテーマかもしれないが、それでもプレイする価値はある。
むしろ、前作から大幅に変更されたシステムに戸惑うユーザーの方が多いだろう。前作では割とオールドスクールなシステムだった操作系はカジュアルFPSに多いボタン配置に変更され、より銃撃戦やアクションを重視したアサインになっている。例を挙げると、ナイフはインベントリから選択して装備する形式ではなく、Melleボタンを押した時にのみ使用できるようになった。『Medal of Honor 2010』がそれまでのシリーズから一変して『Call of Duty』の操作系に近くなったのに似ている。こちらはより露骨だが。
銃器の種類は前作よりも増加している。それに、使える銃弾の種類が増えた。また、前作ではプレイヤーが武器に任意の改造を施す事が出来なかったが、今作では様々なオプションパーツを取り付ける事が可能になっている。これによって戦闘能力の増強を図るだけでなく、各武器ごとの能力差をある程度まで埋める事が出来るようになったため、プレイヤーが特に好みの武器を継続して使う事が出来るようになった。ストーリー序盤で手に入れたお気に入りの武器を、コツコツ改造しながら使い続ける事だって出来る。まぁ、使い込んだからといって劣化するとか、武器固有のレベルが上がるとか、そういったギミックもないんだけど。
グラフィックは前作と同レベルで、もしかするとスペキュラーマッピング等の処理が向上しているかもしれないが、ハッとさせられる程の変化はない。とはいっても、前作が既に十分すぎる程に美しいグラフィックだったので、これで充分かと思う。モデリングに関しては武器やオブジェクト等は基本的に前作のイメージを踏襲しているものの、どうやらキャラクターモデルは新規で作り直されたようで、『Metro 2033』に登場したものと同一人物だとは信じ難い外見的不一致を見せるキャラクターが数人ほど存在する。前作の思い出をレイプする程のものではないが、シリーズに思い入れのあるプレイヤーは違和感を拭い切れないだろう。
総合的に見て、『Metro: Last Light』は非常に良いゲームである。マルチプレイが存在せず、またシングルプレイもやや自由度に欠けるという部分はあるものの、独特の世界観と雰囲気に没入したいプレイヤーや、廃墟というものにどうしようもない浪漫を感じる種の人間にはたまらない魅力を持っている。僕としては万人にお奨めしたいゲームなのだけれど、いくつかの場面で非常に露骨極まる性的表現や暴力的言語が含まれている為、日本語版に於いて何らかの規制が掛かる可能性は否定できない。
ローカライズは前作同様にSpikeが担当するようなので、『Call of Duty』シリーズのような誤訳に悩まされる事はないだろうが、もしもあなたがある程度の英語力を備えていて、CEROの規制に邪魔される事なく確実におっぱいを眺めたいと願うなら、日本語版の発売を待たず、海外版を購入することを強く推奨したい。