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Provisional

Janek Chenowski's Provisional Blog

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僕が知る限り最も戦闘的でないデザイン

 多くの共産主義者が心の中にソヴィエトロシアを宿すように、僕の心の中にはブリトン人が住んでいる様だ。どうか「はん、西洋かぶれが」などと思わないで欲しい。ただ頭がおかしいだけだ。今では何かあると『モンティ・パイソン』を引合いに出し、時折『BBC News』を読み、「軽い飲み物」の中でも最高のものはバス・ペールエールだと信じて止まない、まさしく鼻持ちならない野郎になってしまった。
 心をブリトンに侵された副作用として、僕が持つフランスに対する印象は必然的に良くないものとなった。カエルを食べ、英語以上に綴字と発音が一致しない言語を話し、犬の糞を片付けようとしない、城塞の上から牛を投げ落とす人間たち。その美的センスに至っては、ルノーが「ムルティプラ」を本気で市場に投入した事から推して知るべし。仮の同居人は(悔しい事にフランス語が少し分かるらしい)僕の考えるフランスはフランスなどではなく、いわゆる「おフランス」だと言って僕を窘めるが、そういう彼女だって知識人たちが「フレンチ」と呼ぶところのフランス料理を食べに行こうとはしない――メニューの記載と給仕の御託が長すぎるという理由で。
 けれど、そんなフランスに由来するもので、僕がおそらく唯一愛しているものがある。オピネルだ。1890年代にSavoie(僕には発音できない)地方の鍛冶屋が開発した、この美しい木製のハンドルとシンプルなブレードを持つナイフは、少年だった頃の僕が初めて手にしたナイフであり、刃物の全てを教えてくれたと言っても過言ではない。そして、未だに愛用し続けている。
 オピネルは非常に安価で、シンプルかつ機能的な折り畳みナイフだ。人によっては「フランス流の機能美とでも言うべき素晴らしいデザインが……」などと言うかもしれないが、そんな御大層な文句を並べなくても、一目見れば――そして強度の近視などでもなければ――それが非常に美しい物である事が分かる。木製のハンドルは一つとして同じ木目のものが存在しないし、使われる木材もまちまちだ。深みのあるウォールナット材や、場合によっては水牛の角などを加工して作られたものまである。大量生産によって作られるプロダクト・モデルではあるが、同時にそれは世界で一つだけのオピネルでもある。最近になってプラスチック製のハンドルを備えたモデルが国内でも流通し始めたけれど、僕があまり魅力を感じないのは合成素材の「個性」が感じられないからかもしれない。
 ブレードは元々はある種の炭素鋼を採用していたそうだが、ステンレス製のモデルもラインナップされている。僕が初めて手に入れたオピネルは炭素鋼の刃を持っていて、しっかりと砥ぎ上げた時の切れ味は素晴らしいものだった。ただ、それはある時に雨に濡れて錆び付かせてしまい、それからはステンレス製のものを使っている。ステンレスは若干切れ味も落ちるし、高価ではあるけれど、使いたい時に使える事が肝心だ。久しぶりに取り出してみたら錆だらけだった、という事態は避けたい。ブレード形状はクリップポイントのストレートで、刃先はグリップの中心軸とほぼ重なっている。僕はよくこのポイントを良いナイフの評価基準にしているけれど、これはナイフを使って工作をした事のある人なら分かって貰えると思う。グリップの軸と刃先がしっかり合っていないと、手指の延長として使う事が格段に難しくなる。
 グリップは先にも書いたように木製が主だが、これに関しては特に書く事もない。加工が比較的容易であることから、滑らないように刻みを入れたり、彫刻をしたり、ニスやオイルなどで綺麗に仕上げるユーザーも多いと聞くけれど、これはオピネルに対する愛着を一層深いものにさせる。聞いた話では、あらかじめ彫刻を削り出す事を前提に、角材のようなハンドルを備えたモデルまで存在するそうだ。
 また、オピネルには一風変わったブレードのロックシステムが備わっている。ブレードの付け根に嵌められたリングを回転させる事でロックと解除を行うもので、シンプルだが非常によく考えられている。多くのブレードロックは刃を起こした状態で固定するのみだが、オピネルは閉じた刃が開かないように固定する事もできる。
 豊富なサイズバリエーションも魅力的だろう。現在、国内で一般的に流通しているオピネルにはNo.6からNo.12までのサイズが揃っている。いくつかの番号は欠番だが、これによって刃渡り7センチから12センチまでのモデルから好きなものを選ぶ事が出来る。手の小さな子供や女性から、キャッチャーミットみたいな手の親父まで幅広く対応しているのだ。
 どちらかと言えば、オピネルはナイフというよりも道具だろう。登山用品店やホームセンターなどで手に取る事が出来て、かつ多くのアウトドアズマンが使用している。木製のハンドルと優雅なブレードは攻撃性を感じさせず、食卓でパンを切り分けたり、森でキノコを採ったりするような、そんな牧歌的なシチュエーションが思い浮かぶナイフである。人をブッ刺したり、鉄条網を切り開いたりするような使い方は、このナイフからは想像できない。だいいち、オピネルにはそんなヘビーな作業はこなせないだろう。ブレードは薄くて容易に折れるだろうし、ヒルトやフィンガーチャネルの存在しないグリップは人に向かって突き刺したが最後、手が滑って自分の指を落とす事になる。
 勿論欠点もある。オピネルの特徴でもある木製ハンドルだが、天然材の為に吸湿すると膨張し、ピポッドを圧迫してブレードの開閉を妨げる場合がある。普通のナイフは折り畳み時にエッジとグリップが接触しないように「キック」と呼ばれる突起が設けられているが、オピネルにはそれが存在しない。刃を収納した状態でブレードにストレスが加わると、グリップ内部と擦れてエッジが損耗する可能性がある。また、スタンダードなモデルにはランヤードホールが存在せず、ストラップやタブを装着する事が出来ないので、キーホルダーから提げたり、紛失防止の為に手首に結わえ付けて使うという事が難しくなっている。僕のオピネルは金属製のヒートンを捻じ込んで代用している。
 いろいろと並べ立てたけれど、結局のところ値段に見合うだけの価値はあるだろうか? 答えはイエスだろう。これを書きながらAmazonで調べたところ、No.8のオピネルは現在1,450円から手に入る。ナイフとしての機能や見た目の美しさ、ユーザーの多さなどでいえばオピネルはバックの#110と大差ないが、バックの方はだいたい3倍ほども高い。場合によっては、要らない革製のポーチまで付属してくる。意外かもしれないけれど、ナイフに革は御法度だ。なめしの工程で使われたタンニンが金属に悪影響を及ぼすのだ。
 20,000円もするSV30鋼を使ったヘビーデューティーなナイフを日常の用に供する勇気のある人は少ないだろう。だが、その10分の1以下の値段で手に入るオピネルは、毎日の食卓で主菜の肉を切り分けるのに使っても抵抗感は少ない。それに、そういう用途の為にデザインされたかのような日常性を備えている。黒光りするガットフックが付いた凶悪なスキナーでステーキを食べていれば、給仕頭はおそらく警察に電話をしたがるだろうが、オピネルで行儀よく鶏肉を切り分けている分にはおそらく気にしないだろう。次第に高価なナイフは自宅のディスプレイの奥深くに仕舞い込まれ、デイリーユースは全てオピネルが担うようになる。ナイフは使ってこその道具だと、僕は思っているのだけれど。
 僕の心に住まうブリトン人も、オピネルには一目置いているようだ。オピネルの公式ウェブページによれば、ヴィクトリア&アルバート博物館の『世界で最も美しいデザイン100のプロダクト』の一つにオピネルが選ばれたという。なぜ「ポルシェ911やロレックスと共に~」と書かれているのかは不明だが――まるでイギリスには傑出したデザインの製品が存在しないみたいじゃないか。
 オピネルは英雄願望を満たしはしないし、原生林の奥深くで生き延びる為のナイフでもない。「安価で大量に生産された傑作」という意味ではカシオのF91Wとよく似ているが、オピネルはテロリズムに供する程のポテンシャルは秘めてはいない。美しさはポルシェに並び称えられる程だが、値段はポルシェなど比較にならない程安い。
 だからこそ、オピネルは普段の日常生活で使う価値がある。


追記:

 ムルティプラはルノーではなく、フィアットの製品でした。
 筆者にイタリアとフランスの区別が付いていない証拠です。
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ボリス・エリツィンの血

 前回の記事の続きになる。酒飲み以外には退屈な話題になると思うから、ムスリムは読まない方が良い――貴方がアブー・ヌワースでもない限り。
 どこまで書いたか……そうだ、豚肉を塩と香辛料まみれにして漬けた所だった。結論から言うと、あの記事を書いた三日後には容器から取り出し、キッチンペーパーと新聞紙に包んで冷蔵庫に放り込み、一日ほど置いておいた。その間に僕はなんだか小洒落た食料品店を訪ね、ドイツの黒パンと、何故かそれしか置いていなかった『スミノフ』の21番を買ってきた。
 『スミノフ』? なんだか変な響きだ。瓶にはしっかりSMIRNOFFと書いてあるし、創業者のロシア人もСмирновという名前なのに、どうして『スミルノフ』では無いんだろう。この気取ったウォッカは一瓶が1000円くらいで手に入ったが、決して安酒ではない。そしてロシア製でもない。かといって、『ストリチナヤ』とか『モスコフスカヤ』は外貨獲得用に作られた高級酒だし、本場のウォッカはもっと雑味があって、おまけに驚く程安いらしい。僕が最後に聞いた話では、半リットル瓶が一本90ルーブルくらいから飲めるという話だった。そういう庶民の酒が飲みたいものだけど、日本ではどうやら叶わない話のようだ。ふーむ、90ルーブルか――移住しようかな。
 ちなみに、ウォッカのアルコール度数はきっかり40度でなければいけないらしい。『ギルビー』とか『ウィルキンソン』のブランドは邪道という事か。このウォッカ製造に関する規定を作ったのが、ドミトリー・メンデレーエフ(僕らが「水兵リーベ」を覚える破目になった元凶)だというから驚きだ。
 話を元に戻そう。僕の漬けたサーロと、手に入れたウォッカの話に。
 まず『スミノフ』は瓶ごと冷凍庫に放り込む。ロシアならドアの外に30分ほど置いておくだけで事は済むのだろうけれど、日本では冷凍庫なしにはどうにもならない。ウォッカが多量に含むアルコールは融点が非常に低いから、冷凍庫程度では凍る事はない。
 黒パンを切り分け、サーロを薄切りにして載せる。キンキンに冷えたウォッカのボトルを冷凍庫から取り出すと、見る見るうちに瓶には霜が張り付き、漂う冷気が白い渦を作って流れ落ちる。瓶の中の液体は凍らずに、しかし僅かにとろりと粘性を帯びてたゆたう。なんだか映画『ザ・ロック』の冒頭で化学兵器を格納庫から持ち出すシーンを思い出す。だが僕が手にしているのは、ある意味では化学兵器よりも剣呑な代物、多くの人間を溺れさせた酒神バッカスの恵みなのである。


 写真は携帯電話のカメラで撮った。前回はきちんとしたカメラで撮影したけれど、用意するのが待ちきれなかった。
 ショットグラスに注いだ、刺すように冷えたウォッカを喉に流し込み、深呼吸をする。すると消化器から口に至るまでの全ての内臓が大火事になったようになるから、その感覚を楽しみつつ、黒パンとサーロに手を伸ばす。独特の酸味の強い黒パンと、塩とスパイスの利いたサーロがアルコールの熱を取り去る。そしてまたウォッカを注ぎ――と、あとはこの繰り返しだ。
 サーロの作り方というよりは、なんだか酒の飲み方についての記事になってしまった。勿論、これが正しい飲み方という訳でもない。同様に、サーロがこのような酒の肴でしか有り得ない、という事もない。サーロは非常に有用な食材だと言われている。調理の際にはラードの代用としても使えるし、ちょっとしたペミカンのようなものだ。生憎と僕には生で薄切りにしたものを食べる以外の方法が思い付かないけれど、読者諸氏は様々な食べ方を試してみてほしい。あとウォッカの飲み方も。

The place...where the shells get discarded.

 海外のフォーラムを斜め読みしていると、『ガールズ&パンツァー』を『G&P』と表記しているGAIJINがそこそこ存在する事に気付く。広く一般的なのは『GuP』らしいが。僕としてはGuPでもДиТでも構わないのだけれど、G&Pだけは確かに御免蒙りたい。中国のトイガンメーカーの中に、同名の会社が存在するのだ。一昔前はデルタリングやメタルフレームなどをパーツ単位でちらほら見かける程度だったが、最近では日本の市場でも完成品モデルを多く展開している。戦車アニメと中国製トイガンが混同されるなどあってはならない悲劇であろう。共通点など無い。どちらも鉱物油臭いくらいか。あと鉄――。
 G&Pの話は本筋には関係ないから忘れて貰って良い。本筋も何も無いのだが。
 サーロという食べ物がある。豚の脂身を塩で漬けた保存食で、ウクライナの伝統的な料理とされているそうだ。僕は本場仕込みのサーロを食べた事こそないけれど、BBCの『クッキング・イン・ザ・デンジャー・ゾーン』という番組でチェルノブイリ近郊に暮らす老婆が手にしているのを観て、とても美味しそうだと思った事を覚えている。
 そもそも、ウクライナは美食の土地であるという。少なくとも1986年以前にはそうだった。カツレツ、ボルシチ、餃子のような「ヴァレーニキ」など、同時代のモスクワ人が牛乳とパンで生きていた時代を、キエフ人は豊富な豚と麦によって生きていた。現在では栄養学的な面からその消費量は減少しつつあるようだけれど、それでもウクライナ人にとっては伝統の味である事に変わりはない。それに、サーロはスラヴ人にとってはウォッカの肴として非常に有用であると聞けば、酒飲みなら一度くらい食べてみようという気になろうというものだ。
 少し前から、僕も自分用にサーロを漬けるようになった。もっとも日本では「皮付きの豚の背脂」なんておいそれと手に入らないから――肉屋に相当のコネクションがあれば別だろうが――スーパーの精肉売場で最後まで売れ残るような、脂の比率がとてつもなく大きい豚バラ肉を使って作る。先日、Twitterの若いフォロワーさんからレシピを教えて欲しいとあったので、写真を交えて紹介してみようと思う。



 材料となる豚バラ肉、香り付けに使うニンニク。包丁と化したニムラバス。
 この状態から、なるべく赤身の層を取り除く。残したまま漬ける人もいるけれど、好みの問題かもしれない。



 赤身の大きな層を取り除いた状態。ここから適当なサイズに切り分けるのだけれど、漬ける容器に収まりやすい大きさにすると良い。



 切り分けた脂身に塩と胡椒をまんべんなく振り掛けて、揉み込む。
 塩の量は特に考えていない。肉の表面を覆う程度にまぶせば良いと思う。



 揉み込むと少しだけ小さくなる。水分が抜けているのかもしれない。



 それぞれの切り身の横っ腹にニンニクのスライスが入るように切れ込みを入れる。



 カットしたニンニクはこんな風に押し込む。
 多少大雑把でも構わない。漬けている最中に馴染んでくれる。



 漬物容器に詰める。写真には写っていないけれど、この容器の蓋にはスプリングで下方向に押し付けられるように作用する落し蓋が付いていて、漬物に適度な圧力を掛けてくれる構造になっている。漬物容器が無ければ何か工夫する他ない。バケツと鍋の蓋とダンベルとか。
 肉の上に散らばってるのはニンニクと月桂樹か何かの葉。月桂樹はまるのまま入れるのが本当なのだろうけれど、手の中でバラバラに砕けてしまった。パセリじゃないんだから。


 この後は、冷蔵庫に放り込んで3日か4日くらい放置することになる。
 塩によって案外多くの水分が染み出てくるけれど、これは捨てずにそのまま漬け込む。この水分がないと、脂身に擦り込んだ塩が良い塩梅に溶けてくれず、サーロの表面にザラメのようになって張り付いてしまう事がある。漬け込みが終わったら容器から身を取り出し、キッチンペーパと新聞紙で包んでさらに冷蔵庫で何日か寝かせるのだけれど、それは次回の記事に書こうと思う。それまでに何か手頃なウォッカでも手に入れて来よう。

OH GOD WHY

 今朝の事だが、僕のTwitterアカウントが突然凍結された。
 アカウントを取得して何年ほどになるか分からないが、初めて経験する凍結措置だった。既に凍結解除申請を行ってはいるものの、凍結された原因がさっぱり思い当たらない。別に何か特別な事をしたわけでもない――今までと同じように「陰毛をリンスしたらサラサラになった」などと呟いていただけだ。つまり、Twitterの運営が誤って僕のアカウントを凍結していたか、或いは僕が3年間ほどに亘ってTwitterの利用規約に反していたという事になる。
 日常生活の中で、僕らは時折こうした思いもよらぬ事件の不意打ちを受ける。今回のTwitterの件はどうしようもない。なにしろ予想だにしなかったのだから。だが、たとえば自動車事故などはどうだろう? 確かに交通事故は「起きるもの」だけど、我々のちょっとした心構えで被害をぐっと抑える事が出来る。事故そのものは防げなくてもね。
 この世に自動車が産声を上げた時、世間の反応はそう熱烈なものではなかったという。
 既に人類は馬という生物を乗り物として授けられていたし、蒸気機関や内燃機関による騒音は当時としては耐え難いもので、イギリスなどは19世紀末まで「自動車は時速4マイル以下で走る事」と定めていたものだった。馬車以上に早く走る乗り物など世界には存在しなかったのである。必定、交通事故というものは主に自動車ではなく、馬車によるものが大半であった。
 もちろん、現代ではそうは行かない。自動車の最高時速は未だ伸び続けているが、それを駆る人間の方はここ20万年ほど大した変化をしていない。結果、人間の手に負えるモノで無くなりつつある自動車による事故は、着実に人間社会への影響を強めつつある。より高次の生物に人類が駆逐されるという題材はSFでお馴染みだろうが、たぶん人類は進化した自動車によって絶滅させられるのだろう。他ならぬ自分の運転によって操られた、しかし操り切れなかった自動車によって。
 残念ながら、現代科学の総力を結集しても、交通事故を完全に無くす為のテクノロジーは未だ開発されていない。世界にはまだこの種の技術を研究している人間も多くいるだろうが、世間は「事故を無くす」よりも「事故が起きた後にどうするか」という点に重きを置きつつある。シートベルト・リテンショナーの改良、エアバッグの標準装備、そして歩行者をやんわりと肢体不自由にする為のバンパーなど。
 僕が使用するドライブレコーダーも、その手の事後的なアイテムだ。常に運転している状況を録画しておき、万が一にも交通事故に巻き込まれても証拠映像として活用したり、或いは隕石が大気圏内に突入して大爆発を起こした時などにビデオをYouTubeにアップロードする事が出来る。一昔前は割と高価なアイテムだったものの、交通事故の後処理を行う司法の腐敗が著しい地域――だいたいは共産主義国だ――で、映像という証拠が無い限りまともな事後処理が出来ないドライバーの間に普及した結果、最近はそこそこ安価に手に入る。僕が買ったのも、中国で生産されたモデルだ。
 僕が入手したのは「HD DVR」と書いてあるパッケージに入っていたのだけど、これが正確なモデル名なのかどうかは不明だ。僕が知る限り、同じデザインのドライブレコーダーがいくつか存在する。OEMのパクリのOEMあたりだろうと思う。だからパッケージ写真と全く異なるマウントが付属していたり、中国語と英語しかない取扱説明書に「動作中は青色に点灯します」と書かれたパイロットランプが緑色に光っていても、別に気にしなかった。
 ファーストフードのセット4食分ほどの値段にも関わらず、今の所はきちんと動作している。エンジンスタートに連動した電源のオン・オフ、古いデータから順に上書きしつつ録画するリサイクル機能などが備わっているから、一度取り付けてしまえば特に操作する必要はない。時折きちんと録画出来ているかを確認するだけで良い。解像度などの関係から低光量下や遠距離の撮影は難しくなっているが、それでも自分の車が衝突した物体が何であるかを判別できる程度の画質は維持している。
 これといった欠点の見当たらないドライブレコーダーだが、それも動作しなくなるまでの話だ。じきに「チャイナ・ファクター」が作用して、何らかの機能障害を起こす可能性はある。とはいえ、FMラジオやカーナビにノイズが乗るといった事もないし、値段を考えれば案外よく出来た製品なのではないか。たとえパッケージに記載のある機能の中には実装されていない物があったり、夜間撮影用の赤外LEDが大した光量を持たない上、いざ使うとなるとフロントガラスで反射して、画面が青白く染まるような事があったとしても。
 いざという時の安心を買う意味では、取り付けておいても良いかもしれない。万が一事故に巻き込まれた際には、その後の処理がスムーズに進む事だろう――貴方が事故で死んでいない限り。もちろん、これは「加害者」の側に立った時は自己に不利な証拠として機能する。反対車線を走っていたとか、歩道に突っ込んだとか、そうした場合には言い逃れが効かない。「ブレーキは踏みました」「ハンドルを切ったけど間に合いませんでした」などは、映像を観れば一目瞭然なのだから。そう思うと、自然と「安全運転をしよう」という気持ちにもなるかもしれない。
 勿論、それでも起こるのが事故だ。
 仮に貴方が事故を「起こしてしまった」ら、勿論その一部始終は自分のドライブレコーダーが記録しているだろう。しかし、このドライブレコーダーは比較的安価だから、惜しげもなく事故現場の脇の草叢に投げ棄てる事が出来る。そして負傷者を救護し、警官を呼び、保険屋に電話で説明すれば良い。「詳しい経緯? すみません、気が動転していて――ドライブレコーダーでしたっけ? あれがあれば良かったんですが……」

日本で使う価値が見い出せる、おそらく唯一のコンシールド・キャリー・バッグ

 タクレットというアイテムがある。
 Googleで検索すればすぐに見つかると思うけど、「一見何の変哲もないウェストポーチだけど、拳銃を隠し持つ事が出来る」という若干アブない鞄の事だ。元々はアメリカという発展途上国に於いて事件に巻き込まれたり、ショッピングモールで買い物している最中に突如ゾンビ・パニックが発生した時にサッと拳銃を抜き放ち、暴漢やジョージ・ロメロの息子たちを射殺する為に作られたそうだが、なぜかそうした危険とはほぼ無縁な日本国内でも手に入れる事が出来る――無法な関税とマージンを加えた価格で。だが何の為に? 僕らの住む国では、歩行者天国にトラックで突っ込んで通行人を切り刻むようなサイコパスなんて存在しないし、だいいち拳銃を所持する事だって難しいのに。
 「とんでもない!」とタクレットユーザーは反論する。「お出かけの際にはとっても便利なウェストポーチなんだ! EDCバッグとして最適だよ!」
 だが、EDCバッグというにはタクレットは少しばかり剣呑な代物だ。パッと見た限りではただのウェストポーチなのだけれど、知っている人間にしてみれば「フーム、きっと彼はあの中にスィグ・サワーのペストルを隠し持ってるぞ」と警戒心を抱かせるに決まっている。もしも警官が訝って「身分証を見せて下さい」と尋ねてきて、君の身分証がタクレットの中に入っていたら、その時が君の最期だ。きっとIDケースを取り出そうとフラップを開けた君を、拳銃を取り出すのだと勘違いした警官によって射殺されるだろう。冗談ではなくて、海外のフォーラムでは現役警官が「俺が勤務の時に、タクレットを持った見るからにナードなにいちゃんを見かけたら、迷わず職質すると思う」と書き込むようなバッグである。
 EDCバッグなら他にも選択肢はある。だが、世の中には「拳銃を隠し持てるバッグが欲しい」というニーズが一定数存在するのは確かなようだ。コーデュラナイロンやプラスチックバックルで出来たモデルだけでなく、革と真鍮のハンドバッグを模したいわゆる「コンシールド・キャリー・カバート・バッグ」まで存在する。市場は案外広いのかもしれないが、こうしたバッグには共通の欠点がある。小さいのだ。ハンドバッグ程度のサイズしかない。携帯電話や財布、パスケースを入れる程度の用事なら事足りるだろうが、役所に複写式のA4書類を提出しなければならない場合など、四つ折りにして畳まなければ仕舞えないだろう。そして書類の二枚目以降は真っ青に汚れ、窓口の役人は「書き直して下さい」と君に告げる。怒り狂った君は、秘密のポケットから拳銃を抜き出して役人を射殺する。
 Condor Outdoorの作る『Solo Sling Bag』はそうした悲劇から人々を救うバッグかもしれない。左右の肩を選ばないこのスリングバッグは、二気室のコンパートメントと豊富なオーガナイザーポケット、そして周囲に「僕はミリタリーオタクです」と宣伝する為のPALSテープとパイルアンドフックが備わっている。メインコンパートメントはA4サイズの書類なら余裕で収まるから、折れ曲がって汚れた書類に難色を示す役所の窓口のオッサンを射殺する事もないだろう。だが、どうしても横柄な役人に銃弾を撃ち込みたいと願うなら、このバッグに拳銃を忍ばせる事も不可能ではない。背中のパッドとメインコンパートメントの間にちょっとしたポケットがあり、中は9mmの拳銃くらいなら収まるスペースがある。中はパイルアンドフックが縫い付けられているから、ここにホルスターを貼り付ければ、大荷物も運べるコンシールド・キャリー・バッグの完成だ。ただ、このホルスターは別売となっているので、そうした使い方はあくまで非公式のようだ。Condor Outdoorも大っぴらに「ここに拳銃が隠せますよ!」とは言えなかったらしい。
 実際に使ってみると、この手のスリングバッグとしては優しい使い心地である事が分かる。MAGFORCEのMonsoonなどはショルダーパッドがデカすぎて、どれだけベルトを締めても平均的な日本人の体型だと余ってしまったのが、Solo Sling Bagはしっかりと身体にフィットするまで締め付ける事が出来る。左右兼用のデザインも良い感じだ。ショルダーバッグなどについて「ストラップは利き手側の肩に掛けるのが正しい」「いや、逆側が正しい」なんて議論をせずに済む。疲れたら左右を入れ替えればいいのだ。幸いな事に、Solo Sling Bagはサイドリリースバックルを二か所付け替えるだけで左右をチェンジできる。
 勿論欠点もある。まず、比較的容量の大きいスリングバッグなのに、サイドを絞る為のコンプレッションベルトが付いていない。中身を目一杯詰めれば見た目には美しいかもしれないが、少量の荷物しか入れない場合は、ややだらりとした印象を与える外見になる。また、メインコンパートメントには万が一浸水した時の為にドレンホールが備わっているものの、何故かサブコンパートメントには付いていない。それに縫製の都合だろうと思うが、サイドに配されたPALSテープの一部は規定の1.5インチの幅を確保できていない部分がある。米Amazonで63ドルという価格は魅力だろう――タクレットと比較すれば1/3の値段だ。だが、Condor Outdoorというメーカーが不信感を与えているのも確かだろう。ナイロンや縫製の品質は悪くないが、良くも無い。それに、このメーカーが作るギアの中には、時折とんでもない不良品が混じっているという噂もある。
 結局、このSolo Sling Bagには「Condor Outdoorなんぞ所詮なんちゃってタクティコゥメイカーよ……やはりワシはタフプロダクツのタクレットを買うね」という人間を納得させるだけの要素がない――役人を撃ち殺さなくて済むという利点以外には。だが、日本で18,000円も払ってタクレットを買おうと考えていて、かつ大判の書類や荷物を運びたいと考えているのなら、まだ他にも選択肢がある。5.11のSelect Carry Bagだ。拳銃どころか、標準サイズのMP5をコンディション1で運べるというオマケ付きで、これもおそらくタクレットよりも安い値段で手に入る。ただ、どちらかといえば「銃を隠し持つ」事を第一に設計されているので、日常的な使い易さなどは若干犠牲になっているものと思う。
 銃器を忍ばせたり、ゾンビクライシスを生き延びる為のEDCバッグは数多い。だが日常生活でも気軽に使えるという意味に於いて、Solo Sling Bagは考慮に値するバッグだろう。

プロフィール

HN:
Janek Chenowski
性別:
非公開

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