多くの共産主義者が心の中にソヴィエトロシアを宿すように、僕の心の中にはブリトン人が住んでいる様だ。どうか「はん、西洋かぶれが」などと思わないで欲しい。ただ頭がおかしいだけだ。今では何かあると『モンティ・パイソン』を引合いに出し、時折『BBC News』を読み、「軽い飲み物」の中でも最高のものはバス・ペールエールだと信じて止まない、まさしく鼻持ちならない野郎になってしまった。
心をブリトンに侵された副作用として、僕が持つフランスに対する印象は必然的に良くないものとなった。カエルを食べ、英語以上に綴字と発音が一致しない言語を話し、犬の糞を片付けようとしない、城塞の上から牛を投げ落とす人間たち。その美的センスに至っては、ルノーが「ムルティプラ」を本気で市場に投入した事から推して知るべし。仮の同居人は(悔しい事にフランス語が少し分かるらしい)僕の考えるフランスはフランスなどではなく、いわゆる「おフランス」だと言って僕を窘めるが、そういう彼女だって知識人たちが「フレンチ」と呼ぶところのフランス料理を食べに行こうとはしない――メニューの記載と給仕の御託が長すぎるという理由で。
けれど、そんなフランスに由来するもので、僕がおそらく唯一愛しているものがある。オピネルだ。1890年代にSavoie(僕には発音できない)地方の鍛冶屋が開発した、この美しい木製のハンドルとシンプルなブレードを持つナイフは、少年だった頃の僕が初めて手にしたナイフであり、刃物の全てを教えてくれたと言っても過言ではない。そして、未だに愛用し続けている。
オピネルは非常に安価で、シンプルかつ機能的な折り畳みナイフだ。人によっては「フランス流の機能美とでも言うべき素晴らしいデザインが……」などと言うかもしれないが、そんな御大層な文句を並べなくても、一目見れば――そして強度の近視などでもなければ――それが非常に美しい物である事が分かる。木製のハンドルは一つとして同じ木目のものが存在しないし、使われる木材もまちまちだ。深みのあるウォールナット材や、場合によっては水牛の角などを加工して作られたものまである。大量生産によって作られるプロダクト・モデルではあるが、同時にそれは世界で一つだけのオピネルでもある。最近になってプラスチック製のハンドルを備えたモデルが国内でも流通し始めたけれど、僕があまり魅力を感じないのは合成素材の「個性」が感じられないからかもしれない。
ブレードは元々はある種の炭素鋼を採用していたそうだが、ステンレス製のモデルもラインナップされている。僕が初めて手に入れたオピネルは炭素鋼の刃を持っていて、しっかりと砥ぎ上げた時の切れ味は素晴らしいものだった。ただ、それはある時に雨に濡れて錆び付かせてしまい、それからはステンレス製のものを使っている。ステンレスは若干切れ味も落ちるし、高価ではあるけれど、使いたい時に使える事が肝心だ。久しぶりに取り出してみたら錆だらけだった、という事態は避けたい。ブレード形状はクリップポイントのストレートで、刃先はグリップの中心軸とほぼ重なっている。僕はよくこのポイントを良いナイフの評価基準にしているけれど、これはナイフを使って工作をした事のある人なら分かって貰えると思う。グリップの軸と刃先がしっかり合っていないと、手指の延長として使う事が格段に難しくなる。
グリップは先にも書いたように木製が主だが、これに関しては特に書く事もない。加工が比較的容易であることから、滑らないように刻みを入れたり、彫刻をしたり、ニスやオイルなどで綺麗に仕上げるユーザーも多いと聞くけれど、これはオピネルに対する愛着を一層深いものにさせる。聞いた話では、あらかじめ彫刻を削り出す事を前提に、角材のようなハンドルを備えたモデルまで存在するそうだ。
また、オピネルには一風変わったブレードのロックシステムが備わっている。ブレードの付け根に嵌められたリングを回転させる事でロックと解除を行うもので、シンプルだが非常によく考えられている。多くのブレードロックは刃を起こした状態で固定するのみだが、オピネルは閉じた刃が開かないように固定する事もできる。
豊富なサイズバリエーションも魅力的だろう。現在、国内で一般的に流通しているオピネルにはNo.6からNo.12までのサイズが揃っている。いくつかの番号は欠番だが、これによって刃渡り7センチから12センチまでのモデルから好きなものを選ぶ事が出来る。手の小さな子供や女性から、キャッチャーミットみたいな手の親父まで幅広く対応しているのだ。
どちらかと言えば、オピネルはナイフというよりも道具だろう。登山用品店やホームセンターなどで手に取る事が出来て、かつ多くのアウトドアズマンが使用している。木製のハンドルと優雅なブレードは攻撃性を感じさせず、食卓でパンを切り分けたり、森でキノコを採ったりするような、そんな牧歌的なシチュエーションが思い浮かぶナイフである。人をブッ刺したり、鉄条網を切り開いたりするような使い方は、このナイフからは想像できない。だいいち、オピネルにはそんなヘビーな作業はこなせないだろう。ブレードは薄くて容易に折れるだろうし、ヒルトやフィンガーチャネルの存在しないグリップは人に向かって突き刺したが最後、手が滑って自分の指を落とす事になる。
勿論欠点もある。オピネルの特徴でもある木製ハンドルだが、天然材の為に吸湿すると膨張し、ピポッドを圧迫してブレードの開閉を妨げる場合がある。普通のナイフは折り畳み時にエッジとグリップが接触しないように「キック」と呼ばれる突起が設けられているが、オピネルにはそれが存在しない。刃を収納した状態でブレードにストレスが加わると、グリップ内部と擦れてエッジが損耗する可能性がある。また、スタンダードなモデルにはランヤードホールが存在せず、ストラップやタブを装着する事が出来ないので、キーホルダーから提げたり、紛失防止の為に手首に結わえ付けて使うという事が難しくなっている。僕のオピネルは金属製のヒートンを捻じ込んで代用している。
いろいろと並べ立てたけれど、結局のところ値段に見合うだけの価値はあるだろうか? 答えはイエスだろう。これを書きながらAmazonで調べたところ、No.8のオピネルは現在1,450円から手に入る。ナイフとしての機能や見た目の美しさ、ユーザーの多さなどでいえばオピネルはバックの#110と大差ないが、バックの方はだいたい3倍ほども高い。場合によっては、要らない革製のポーチまで付属してくる。意外かもしれないけれど、ナイフに革は御法度だ。なめしの工程で使われたタンニンが金属に悪影響を及ぼすのだ。
20,000円もするSV30鋼を使ったヘビーデューティーなナイフを日常の用に供する勇気のある人は少ないだろう。だが、その10分の1以下の値段で手に入るオピネルは、毎日の食卓で主菜の肉を切り分けるのに使っても抵抗感は少ない。それに、そういう用途の為にデザインされたかのような日常性を備えている。黒光りするガットフックが付いた凶悪なスキナーでステーキを食べていれば、給仕頭はおそらく警察に電話をしたがるだろうが、オピネルで行儀よく鶏肉を切り分けている分にはおそらく気にしないだろう。次第に高価なナイフは自宅のディスプレイの奥深くに仕舞い込まれ、デイリーユースは全てオピネルが担うようになる。ナイフは使ってこその道具だと、僕は思っているのだけれど。
僕の心に住まうブリトン人も、オピネルには一目置いているようだ。オピネルの公式ウェブページによれば、ヴィクトリア&アルバート博物館の『世界で最も美しいデザイン100のプロダクト』の一つにオピネルが選ばれたという。なぜ「ポルシェ911やロレックスと共に~」と書かれているのかは不明だが――まるでイギリスには傑出したデザインの製品が存在しないみたいじゃないか。
オピネルは英雄願望を満たしはしないし、原生林の奥深くで生き延びる為のナイフでもない。「安価で大量に生産された傑作」という意味ではカシオのF91Wとよく似ているが、オピネルはテロリズムに供する程のポテンシャルは秘めてはいない。美しさはポルシェに並び称えられる程だが、値段はポルシェなど比較にならない程安い。
だからこそ、オピネルは普段の日常生活で使う価値がある。
追記:
ムルティプラはルノーではなく、フィアットの製品でした。
筆者にイタリアとフランスの区別が付いていない証拠です。
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